百億の月

いま小さく脈打つメロディー

推しがすごすぎてくやしい

正確には推しがすごいことを言葉にできないことがくやしい。

備忘録です。多大なるネタバレ。


推しことももいろクローバーZ佐々木彩夏、通称あーりんは去る7月12日、ソロで配信ライブを行った。
元々その日は、横浜アリーナで毎年恒例のソロコンサートをする予定だった。今年で5回目になる。はずだった。
昨今の事情で本体のももクロのコンサートも軒並み延期、または中止になっていたので、期待してはいなかったけれど、それでもソロコン中止が決定したことは悲しかったしさみしかった。
ソロコンの名前は推しの敬愛する浜崎あゆみさんの所属するavexのイベント、a-nationをパ……オマージュしてAYAKANATIONと冠している。
しかし、今回の配信ライブのタイトルは「A-CHANNEL」。あーちゃんねる。
中止の決定のお知らせとともに配信ライブのお知らせを行ったけれど、彼女はそもそもAYAKANATIONと配信ライブを別のものとして考えているようだった。
それに伴い語られる、「配信だからこそ見せられるもの」への自負。
彼女のクリエイティブな部分には一定の信頼は置いていた。それは過去4回のソロコンで示されていたと感じるから。所詮配信だから、ある程度のものを見せてくれればいい。そう思っていた。
でもぶっちゃけ、そんな評価は我が推しを舐めていたと言わざるを得ないものを当日見せられた。

どう書いていいかわからないから全部書くよ。


オープニングは、先日発売されたばかりのあーりんの1stアルバム、「A-rin Assort」より「ハッピー♡スイート♡バースデー!」。

本来は彼女の誕生日にあわせた発売日ゆえのバースデーソング。
夢の国風のサウンドであーりんの世界は開幕した。してしまった。
曲の最後はなぜか3rd「AMRANTHUS」より「WE ARE BORN」の赤ちゃん衣装に変身する。

思わず口についた「なんでや!」という言葉。
けれどあとあとになればなるほどわかる。
この赤ちゃん衣装への早替え、というか変身はおそらく事前収録を繋いだものだ。配信だからできる本当の「変身」だった。

あーりんちゅあによるオープニング映像を挟んで、幼稚園児風の衣装に身を包んで歌う。
(※訂正。あーりんちゅあは冒頭でここは喜安氏による映像。記憶違い)
「ゴリラパンチ」「キューティーハニー」「私を選んで!花輪くん」「笑一笑」。
ここら辺でなぜ、赤ちゃん衣装を用いたのか、幼稚園児風の衣装になったのかがわかる。
上記の「AMRANTHUS」、人の生まれてから死ぬまでを描いたこのアルバムにおいて、「WE ARE BORN」は生まれる瞬間、「ゴリラパンチ」は幼少期にあたる歌だ。
つまり生まれ落ちてからの成長。衣装ひとつでそんなこと仕組んでくるか?
そして、「キューティーハニー」「私を選んで!花輪くん」と「笑一笑」はアニメソングからの選出。
なにより、ちびまる子ちゃんのキャラソンとも呼ぶべき「私を選んで!花輪くん」では、キャラクターたちと掛け合いをする。それを見事に画面上に表現していた。この部分を実際の現場でやろうとしても正直観客は置いてけぼりになってしまう。これも配信だからこそのギミック。
アニメ映像を使わせてくださったさくらプロダクションさん、ありがとうございます!!!

ふたたび場面転換、衣装替えが終わると、あーりんのソロの代表曲と言っても過言ではない、「だってあーりんなんだもーん☆」。
14歳のときのあーりんの歌。思春期に差し掛かったことがわかる。
このときのピンクのフリフリの衣装、死ぬほど似合ってるからまた着てほしい。
歌っているのが幼少期とは別の場所。特別にセッティングされた「だてあり」用のかわいいものに囲まれている。
次の「君が好きだと叫びたい」では会場備え付けのプールサイドに移動して歌う。
実はこの日、あーりんは横アリではなく都内某所(バレバレ)で彼女の国を展開している。(わたしも行ったことはあるけれど、)プールがあるなんて知らなかった。
そのまま、ポスターで飾られた廊下を進んで歌う「My Hamburger Boy」と「My Cherry Pie」。2017年のシングルだ。

チェリーパイの方では、CDジャケットを思い出すようなモノクロの市松模様のフロアでダンスする。
ここまで魅入っていて、ふと気づく。あーりんは都内某所(バレバレ)のすべてを会場として、この配信をやりきるつもりなのだ。
6月25日のももクロの配信ライブ、「Behind closed doors『2020 次が始まり』」でも、観客がいないことを逆手にとった演出があった。それの拡大版だ。
上記では「The Diamod Four」のMVを再現するような構成。それも見応えがあったけれど、彼女は1曲ではとどまらなかった。

映像を挟んでシンプルなセーラー服ではじまる「あーりんは反抗期!」。これもおそらく事前収録。
ド派手なセーラー服に変わり、迎える「反抗期」。やけにヤンキールックが堂に入る。
推しなんでなんでもかわいいです。
「Bunny Gone Bad」、「スイート・エイティーン・ブギ」と激しめのナンバーが続き、「あーりんはあーりん♡」でZoom中継から声援を受ける。
顔出しNGなので一生やりたくないけど、メンバーが楽しんでくれるなら悩んじゃう……。
AYAKANATIONでは「だてあり」「反抗期」「あーりんはあーりん」のあーりん三部作(勝手に呼んでいる)は本編ではやらず、アンコール部分の「あーりんパート(勝手に思っている)」に集約されているし、ラストソングは決まって「だてあり」だ。それを考えると、今回のA-CHANNELは完全にべつものとしてセットリストも構築してきていた。
なにより、彼女の成長とともに作られてきたこの三曲が、作られた順番で歌われたことに感動してしまう。

メインステージに移動し、カラフルな衣装から一転してモノクロのワンピースになった。「Memories,Stories」「Grenade」「空でも虹でも星でもない」と、三曲しっとり系が続く。
おそらくあーりんの大好きなあゆちゃん(浜崎あゆみ氏)リスペクトパートだ(これも勝手に言っている)。
半分ほど明るくした髪色がポニーテールによく映えていた。
スカートを脱ぎ捨ててラストスパート。
「Early SUMMER」「Girls Meeting」とフレッシュな曲で後腐れなく締められる。やっぱりあーりんのダンスすきだな。
アンコールは、「モノクロデッサン」がたった1曲だけ。
この曲は、五人で六色を歌ったうただ。
四人では歌わないだろうな、と思っていた曲だった。でも、あーりんソロなら関係がない。そんな盲点をついていた。
最後の最後で、あーりんはすべてを包んで、「ももクロのあーりん」をえらぶ。あの10周年の東京ドームで、あかりんと杏果の名前のほかに、辞めていった子たちの名前も呼んだあーりん。
それらを捨て置かず、ももクロのあーりんになる。なにより爽快だった。
それを毎年恒例になっている、手話で、伸びやかに歌う。きちんとAYAKANATIONも踏襲してくれていてうれしかった。
エンディングは、歌わなかった「Link Link」。2016年、はじめてのソロコンで彼女が泣いた曲。
「離れていても 想いは Link」。あーりんがこの曲で泣くことはもうないんだろうな。

あーりんが生まれてから、いまのあーりんになるまでのダイジェストを描いたようなステージ。
まさに「あーりんアソート」。あーりんの詰め合わせだった。
いろんな要素があって、佐々木彩夏ももクロのあーりんになっている。
「ぜんぶぎゅっとして自分なの」。
最初のソロコンで答えは出ていた。そんなことを思った。

途中途中挟まる、Zoomと連動している雑なMCが彼女がいま、リアルタイムにいるのだと証明していた。
それくらい、完璧な「映像作品」だった。
ほとんど生だということはわかっている。
けれど考えても、成長して安定感のある歌声と、奥行のある構成、上手く繋げられた事前収録映像でどれが「本物」なのか見ていてもわからなくなった。混乱する。
「配信だからこその演出」「ライブエンターテインメント」「リアル感」の詰め込まれたあーりんワールド。時間軸も場所も次元もめちゃくちゃにしているのに、美しく並んで整然とする様は、まさに配信ライブエンターテインメント呼ぶにふさわしかった。
かつて、大人たちが口々に彼女のアイデアを「あーりんの考えていることは点で見てもわからないけど、全体像を通して見れば答えがわかる」と評した。その集大成とも呼べるんじゃないか。
彼女の作り出した配信ライブエンターテインメントは、一遍の壮大な映画であり、それでいて血の通った一人舞台を見た気分になった。
ときどき見受ける歌いきれていない歌や、歌詞の覚えの甘い曲なんかもリアル感の「スパイス」じゃないか?とすら思えた。
なにより、彼女の頭の中を再現することを可能にした映像班もすごい。目まぐるしく「動く」ステージに、エフェクト、事前収録との繋ぎ。追いつくだけで精一杯だったろうに、寸分のズレもなかった。
元々ステージ演出がテレビ屋ということが大きかったろう。プールサイドのシーンは昭和や平成初期の歌番組のようだと、みんな笑う。その情感も「生」で出していた。
接続も問題なかった。GyaOさんに五体投地


ここまで書いても、まだ伝えられない。全体像なんて捉えても意味がないのだ。
「見ないとわからない」。それが拭えない。
これがくやしくてたまらない。
すごくてすごかった。
当日、この配信ライブのハッシュタグ(村上さん覚えたね!)は「#あーりんしか勝たん」だった。
正直、この手の○○しか勝たん系はそんなに好きじゃない……。けど考えたら、アイドル・あーりんを世界で一番理解して体現できるのはあーりん以外いない。あーりん界で佐々木彩夏は常に覇者なのだ。
そりゃ、あーりんしか勝たん。

配信ライブに4500円は正直高い。
でもそんなもの吹っ飛ぶものが見れた。見れる。

アーカイブは28日から。頼む、見てくれ。金なら出す。
二時間だけ、彼女に捧げてくれ。それを後悔させない。
いまだにA-CHANNELを思い出すと、泣きたくなる。いや、実際に今泣いている。
なぜならわたしはもう、戻れない。
推しを知らなかったあの日には戻れないように、あーりんが、新しい世界の扉を開く前の世界にはもう戻れないことを知っているから。

私的に、こんなバケモノみたいなものを見たあとで、ほかの配信ライブを見ることも不安になった。率直に楽しめるのだろうかと。まだif or…も関西アイランドもあるのに、果たして、と。
とはいえ、各々の選択なんだろうな、と思った。熱量のあるコンサートを、音楽番組さながらのステージを、緻密に計算されたオリジナルの舞台を、そのまま映像にのせるのも、間違ってはいないはずだ。
ただ、発信する側が、現場の下位互換と思っているものは、受け取る側も感じ取ってしまうだろう。そこに対面ではない不足を感じたら、どんなに好きな相手でも、冷めてしまう。その距離がある。
その隙を見せないアーティストが、このコロナ禍の配信時代は強いのだろうな。わたしはそれを期待している。彼らも彼女たちもアイドルだもの。

正解がわからない世界になってしまった。けれど、自分なりの「答え」は出せる。そういうステージを推しが作り出した。そのことを伝えられないことが歯がゆい。くやしい。
それでも言う。
あーりんしか勝たん!!!



愛はひかり

ジェットコースターのように令和最初の夏が過ぎていった。
とはいえ、ももクロちゃんのフェス行脚は続いているのでまだまだ夏気分は続いている。
それでも勝手にひとつの区切りになるだろうなあ、と思っていた十五祭のオーラスが終わって、思ってもみなかった別れが訪れた。
その日は仕事だったし、ちょこちょこTLを確認しながらしか事態を把握できなかった。(仕事しろ)
時間がやってきて、もうお別れは済んでしまっていたんだなあ、と息苦しさだけを知った。
涙は不思議と出なかった。
それはすぐに言葉にできたからだったんだなあ。
愛されていた。
胸を張って言える。
眩い客席を、目を細めながら眺めていた錦戸亮を鮮明に思い出せた。
偶然にも収録公演のなにわの日に入れて。
ロマネスクの大サビを客席に歌わせた錦戸さん。
収録公演だけの特別な演出だったのかなあ。
その姿に希望を見出した。
黄色は希望のいろです。
オーラスも入った。
十五祭にはともだちに感謝しかない。
あたり一面の光を眺める、噛み締めるような表情に、やっぱり愛されていると思った。
主観でしかないけど。
それでも、最後までジャニーズアイドル、関ジャニ∞錦戸亮を全うする姿は愛に満ち溢れていた。
終わりを告げずに彼らが十五祭を駆け抜けた日々、愛は間違いなく彼の姿をしていた。
そう思う。
寂しくて悲しいけれど、胸はその思いでいっぱいだった。
関ジャニ∞錦戸亮を愛させてくれてありがとう。
そう思えたのも去年の東京ドームに連れて行ったともだちが口々にももクロとモノノフは両想いだって言ってくれたからだ。
自己肯定感の低いオタクだから見返りがなくても愛し続けられたし、クソデカ感情を推しにぶつけ続けた。
いやだって偶像だし、わたしなんて認知されてないし、なんか求めて推すなんてかっこ悪いじゃん。
愛されなくてもいいと、意地を張ってヤケクソのような時期もあった。
それなのにきちんと愛されている、と。
あの日、そう見えたのかと泣いた。
ももクロを見続けて5年経っていたけど、いままでびっくりするくらい彼女たちの愛を受け取れてなかったんだなあと。
愛の循環、いい言葉だね。
愛されてると思うと自信になる。
ちゃんと生きようと思う。
関ジャニ∞のオタク〜〜!!!
胡坐を掻いていいよ!!
適度にね!!!
胸張っていいよ!!!!
愛されてるよ!!!!
わたしがそう思うだけだけど!!!!
そう思ってようやく少し泣きたくなった。
愛があればつよくなれる。

いとしさとせつなさとこころづよさと。
言葉にならないことも含めてどこまでもぐるぐるする感情を腹に落とし込めながら、退勤を待っていたら、今度はTLに47という数字が舞った。(仕事しろ)
は????
は??????
ばかじゃん???しか出てこないなか、心が逸り、はやく、はやく、会社から出たかった。(仕事しろ)
さすがに動画はそこらへんでは観れないから、きちんと家に帰ってすぐに見た。
錦戸さんがいない五人で、オタクたちを取り残すような説明で、ほんとうに突然47都道府県をまわることが発表された。
は????????
普通に考えれば無謀だってわかるし、大丈夫かよ、と率直に思う。
それなのにどうなるかわからんけどよろしく!と動画はこざっぱりと終わった。
待って、詳細は????
わたしが見たTLとおなじように、疑問符だらけになった頭を裏切るように、心はびっくりするくらい沸き立った。
まるで、あの、1月21日。
有安杏果がステージから去ったあと、アンコールで、はじめて4人で披露した「あの空へ向かって」と、松崎しげるの登場で発表された10周年記念の東京ドーム公演の流れだった。
文章を読んだ時点で彼らはもう、それぞれの道へ進む決意をしていたことはわかっていた。
だからこそ、次の一手にわくわくした。
彼らは走り続けると決めたのだ。
混乱して心配して感情が錯綜していたTLとぜんぜん違う温度で、その事実を受け止めた。
むしろ、渋谷すばる脱退のときに足りなかったのはこれだ、とすら思った。
有安杏果が去って、四人になって途方に暮れたようなももクロとファンを狂乱に陥れたあの瞬間。
わたしはあの日も、仕事をしていた。
あ~~不労所得あればリアルタイムで見れたのにな~~~~!
まあわたしが石油王じゃない反省はあるけど、後悔はありません。
生きてアイドルを推すためなので。
村上さんの足が長すぎるのではないかと疑問を持ってもう動画を一周して心を落ち着けたら、沸き上がるものは単純な感情だけではなかった。
レギュラーをはじめとしてあきらかに詰まっているスケジュールのなか、どうやって回るの?会場は?キャパは?そもそもそんな時間あるの?
疑問ばかり浮かんだ。
いまも心配している。
それでも、もう走り出したというのならついていくまでなんだなあ。
なにもかも無駄にせず、会いに行くんだと、笑った彼らはどこまでも強かった。
そうやって思って、動画には姿のなかった錦戸さんに、いつものような関ジャニ∞の姿に、わたしたちはめちゃくちゃ愛されていると、はじめて泣いた。
そうやって受け取れたこともうれしくて泣いた。
いまだにそのことを考えるとずっと涙が出てくる。
わたしの涙は全部うれし涙です。
意地ぐらい張らせろ。

ほんとは心配だし、さびしいし、苦しいし、駄々こねたい気持ちもあるけど、それよりもたぶん、愛されていたということがうれしくてしかたなかった。
愛してくれてありがとう。
愛させてくれてありがとう。
去年の東京ドームがあったから、きちんと言葉にできたことだと思うと、全部つながってるんだなって思うよ。
でも、彼らのことを受け止めきれないのも、全部肯定してあげれないのも、愛してるからなんだよね。
悲しくて寂しくてやりきれなくて、なんでって思って、言葉が出てこなくて、呪詛みたいな思いがぐるぐるするのも、愛があるからだ。
3日経って、だんだんと状況も変わってきた。
渋谷さんのときのように受け入れひともいれば、受け止めきれなくてそのことに悩んでいるひともいる。
愛しているから悩むし悲しむし、どんな感情もそのひとだけのものだし、それが正解だと思う。
だからわたしの感情も正解です。(言い逃げ)
大丈夫かなって気持ちと裏腹に、まあやるしかないやろって思うのは、やっぱりももクロがいるからだ。
去年、ずっと10周年を四人で駆け抜けてそのまま爆散しないか心配してた。
でもいま笑っている彼女たちがいるのはほんとうに心強い。
今年の夏、明治座で推しが座長のももクロ一座で舞台をやったんですけど。
そこまで、あの日から1年半、ううん、ももクロはじまってから11年を駆け抜けたんだなって思ったら、2年後にまた明治座ももクロ一座ですって。
めちゃくちゃオタクに命を与えてくれる。
それもそうだけど、そのときまでももクロが継続しているっていろんなひとが信じてくれてるってこと。
愛されてるな。
わたしの大好きな女の子たちはいろんなひとから信じてもらって、愛されてる。
うれしい~~!!
関ジャニ∞が決めた47ってそういうことだなって思う。
事務所とも、とあったように、関ジャニ∞を続けるのも閉じるのも大きなことで。
彼らに関わるスタッフも、関ジャニ∞が続くのを願って信じることにしたんだって思った。
好きなひとが愛されているのはうれしい。
関ジャニ∞がメンバーだけのものじゃないってそういうことでしょう。
だからわたしも信じてあげたいな。
そして、無責任だけど、彼らの進む道を大丈夫って言ってあげたいな。
だってももクロだって四人になって2週間ではじめてのイベントやって、3ヶ月後には滋賀で地方自治体と連携したコンサートやって、10周年記念公演もやって、夏も冬もコンサートやって、秋には初挑戦のミュージカルもやって、クレヨンしんちゃんとコラボしてちびまる子ちゃんともコラボした。
アルバムも出したから、たった1年で20曲くらい曲も増えた。
そして、去年1年で、2年かけて回っていた47都道府県をめぐる青春ツアーの半分をやり遂げた。
ももクロができたなら大丈夫でしょ。
めちゃくちゃ無責任だけどそう思う。
たぶんすごい必死だったと思う。
バレンタインイベント前日の、川上アキラマネージャーのイベントでの「彼女たちは頑張っています」という言葉をいまも忘れない。
ももクロはこういうことを伝えてくれる大人たちがいっぱいいる。
関ジャニ∞さんだってわたしたちの知っている何百倍も頑張るんだろうな。
頑張ることは当たり前かもしれないけど、当たり前じゃない。
だから、その道を選んでくれたひとに、敬意を払いたい。
全速力で駆け抜けて傷だらけでも、いま笑っている女の子たちがいるから、大丈夫だって。
そう思う。

たびたび呟く、アイドルに求めていることはすべてムダにしないでほしいってことだ。
動画で言ってくれた。
うれしかった。
いつか八人だったことも、七人で笑ったことも、六人で立ち止まったことも、五人で走り始めることもぜんぶぜんぶムダじゃない。
わたしたちはその行く末を見ている。
わたしたちは関ジャニ∞の歴史の目撃者で証人だ。
詩織ちゃんは必然だった、と語った。
彼女たちの有り様が正解だったら、その歴史も正しいことになる。
早見あかりの選択も、有安杏果の選択も。
おなじように、関ジャニ∞のゆくみちがはなまるなら、内くんの脱退も、渋谷さんの別離も、錦戸さんの決断も。
ぜんぶ正しいことになる。
わたしたちは証人です。
六人が確かにあったように、五人に夢見ていたように、四人をわたしは信じている。
おなじように、八人も七人も、六人も嘘じゃなかったし、五人も、いまこの瞬間では永遠だ。
永遠なんて本当は結果論でしかないことはわかっている。
すこしずついまを積み重ね続けて届く未来のおはなしだ。
唐突なMugen理論。
ポルノグラフィティさん20周年おめでとうございます!
最近知った、DeNAベイスターズのスローガンに、「一生残る、一瞬のために。」というのがある。
オタクなのでうれしかったことを反芻してずっと食べてるんだけど、それはほんのわずかな瞬間だ。
でも一生残る。
そしてわたしのなかで一生残るのなら、わたしが死んだらそれは永遠になるんじゃないかな。
六人を願っていた瞬間も、過去になるけど永遠になる。
いま未来を作ろうとしている彼らは、永遠のありかを知っている。
ばかだとかお花畑とか言われるかもしれないけど、いつか来るかもわからない不安に怯えて、彼らの選択にはなまるをあげれないのは嫌だ。
応援はファンにしかできない、そうだね。
いつか傷つくことがあったとしても、いまこの瞬間を、信じたい。
この気持ちは、きっと永遠だ。
八人を信じていた思いも、七人を追いかけた日々も、六人に夢見た願いも永遠だ。
そして、あのロマネスクで見た錦戸さんの愛も、永遠になる。
円盤収録されるの、よかった。
過去は円盤に宿る。
わたしたちはいつでも、後追いでも、確認することができる時代にうまれた。
八人でも七人でも六人でもあった、関ジャニ∞の永遠がその瞬間瞬間にあった、間違いのない証明だ。
十五祭は永遠を閉じ込めたお祭りになる。

わたしはめちゃくちゃ楽観的なだけだから、普通だったら悩むことも当たり前だ。
でも、47を選択したということは、いつかを約束してくれたことになる。
いま気持ちが追いつけなくても、いつかを待ち合わせしてくれる。
コンサートは待ち合わせだよ。
またしても詩織ちゃんが、やらなきゃいけないことが多い、ももクロのライブに行けない、という学生さんの相談に答えてくれた言葉がある。
「安心してこれるようになるまで続けるから、いまはいましかできないことをしてね」
みんな、夏菜子ちゃんもれにちゃんもあーりんちゃんも笑って頷いた。
待ち合わせの約束をしてくれた。
この答えと一緒なのが47第二弾なんだろうな。
仕事も勉強も家庭のこともがんばって、また会おうって。
もしかしたらツアーはチケット取れないかもしれないし自分の都合でいけないかもしれないけど、その先もあるのかもしれないと、見せてくれた。
いまは前を向けなくても、いつか、を信じたくなれば、いつでも会えるように。
自分のペースでいいよ。
きっと未来で彼らは待ってる。
どうしても規模が大きくなると、距離ができて時差になって。
だから彼らの選択を受け止めることも遅くなる。
めちゃくちゃ急なのは、なにをしているかわからなくなるその時差を埋めようとしてくれたのかもなあ。
ここにいるよ、ずっとここにいる。
今宵、ライブの下での歌詞だ。
「ここ」は人によって違うと思うけど、間違いなく彼らにとっての人生でありステージで、彼らはちょっと先の未来を作ってくれている。
関ジャニ∞に出会えたタイミングもあなたの正解なら、もう一度待ち合わせにいつ来るか、もあなたの正解だ。
ほんとうはわたしはいますぐにでも駆けて行きたい。
未来で待ってるのなら、わたしはいくらでも時をかける少女になる。

このブログを書くにあたって、ふと、モノノフって、アイドル戦国時代のももクロのために駆け付けた援軍って意味だった(ハズ)って思い出した。
eighterを援軍って言ってくれたね。
いっしょや~ん。
普段その呼称をつかったことないけどね。
話し合いで、解散、休止の話も、ということがあったのを明言したのが偶然にも末っ子と上から二番目なんだなあ、とか。
楽屋がすごくうるさかったり、メンバーでからんでる姿をわちゃわちゃと表現してるとか。
そんなささいな重なり合いを、去年からすっごく感じている。
わたしがすきになったひとたち。
うれしいばっかり言ってるけど、会いに行くって言ってくれてうれしかったな。
ももクロちゃんは今会えるアイドルなんだ。
日本全国、なんだったら世界でも、遠くなった距離を埋めようと心を砕いてくれている。
その証が青春ツアーで、できた曲がももクロの令和ニッポン万歳!だ。
ヒャダインの曲だよ。
日本全国をまわったからできた曲だ。
もともと東日本大震災のために作った曲の、令和版。
単なる楽しい曲なのに、でも、最後の全国のパートで泣いてしまう。
「綺麗な海川大好きです
でっかい山々大好きです
田舎も都会も大好きです
優しい人たち大好きです
どんなときだって大好きです
いつも想ってる大好きです」
愛されているな〜〜と思う。
ももクロちゃんたちの愛はマリアナ海溝より深いのです。
頑張って会いに来てくれるというなら、それまでわたしはわたしの頑張れることを頑張る。
そういう気持ちになる。
47も、不安だらけだけどそういう気持ちになるよ。
無理はしないでほしいけど。
日本全国飛び回るなら、会いに来てくれるなら会いに行く。
それがあなたたちの望みなら。
ももクロちゃんは春の一大事で全国まわる!と宣言していて、ちょっと前に、関ジャニ∞さんと47都道府県2周目、どっちが早いか競走だってひとりで笑った。
もう負けちゃうね!
ちなみに春の一大事はまだ3年目なので単純計算であと44年かかります。
それでも、そんなバカげたことを信じさせてくれる力が彼女たちにはある。
来年は福島だよ。
先日の黒フェスでは「現場にこれない人でも、好きでいてくれるならそこに届くように」と夏菜子ちゃんが言った。
行けなくても、思っているのならそれは愛だ。
ここにいないeighterって村上さんよく言ってくれるよね。
愛。
ところでももクロの現場にいるとびっくりするくらい松崎しげるに会うんですよね、いまさらまじ笑えてきた。
ももクロちゃん、最近よくブブカにお世話になってるけど、近年の煽りがなかなか煽ってくる。
続けることこそ愛とか、ね。
単純に続けることだけは誰でもできる。
でもアイドルだもん。
いまの不安を吹き飛ばすパワーがあるって信じてる。
続ける夢を見せてくれることが愛なんだと思ってる。
そうだ愛なんだ。
わたしは傷つきながら愛の夢を見る。

明治座の共演者さんで、ももクロの夏のコンサートに来てくれた方の感想から、ずっと思っていることがある。
「好きだって気持ちを光で可視化させるファン」
わたしたちのサイリウムの波をそう表現してくれたね。
百田夏菜子ちゃんが、国立競技場で言った言葉を彼女は知らないだろう。
東京ドームで涙したことも知らないだろう。
でも、一目見ただけでそうわかるくらい、会場は愛に満ち溢れていたんだろうな。
わたしたちの愛は光で、彼女たちを照らす。
それは関ジャニ∞も一緒だ。
ジャニーズの文化として、うちわもあるけど、声も届くけど、光はスタジアムのてっぺんからでも届くよ。
縦使いの日産スタジアム最後列にいたことあるからわかるよ。
アイスクリームでの海辺に揺れるヒマワリのような爽やかな青と黄色の光。
二つの花での驚くくらいの艶と絢爛さを添えた、くらくらするくらい鮮やかな緑とオレンジの光。
はにかみオブリガードの、二人の武器で戦闘力を増したというのに客席に広がる優しく淡い白と紫。
十五祭でひろがった、八色の光。
愛が可視化できたことを忘れない。
そういうひとつひとつの情景を、錦戸さんは抱えて歩いていく。
一千万の光を花束にして、歩いていく。
思い出が勇気に変わる、と歌があるけど、彼の過去を彩る色なだけじゃなくて、これからの彼の道を照らす光になればいいな。
カッコつけてるけど、ほんとはめちゃくちゃさみしい。
くそさびしい〜〜!!
黄色いツヤツヤのスーツを着る錦戸さん。
情熱をおさめるようなしなやかなダンスの錦戸さん。
蒼写真を絞り出すように歌った錦戸さん。
MCで村上さんに「りょうは?」と聞かれる錦戸さん。
関ジャニ∞のみんなに甘やかされる錦戸さん。
よこりょもひなりょもほほえみもヤンマーもtornも、それぞれの関係性があった錦戸さん。
ぜんぶなくなる。
それでも、あの日触れた永遠は嘘じゃない。

しんどいよ〜〜!
たぶん躁なだけだけど、がんばるって決めたから。
お金大事だし!
みんながんばろうな!
春の一大事in富山県黒部市、経済効果が予想の3億を上回って、というか倍いって6億を計上したらしいです。
ジャニオタならもっといくっしょ(煽っていくスタイル)

五人の関ジャニ∞をまだ実感なんてできてないけど、5The Powerという曲を思い出した。
ももクロちゃんたちが五人だった時代の曲。
今度いつ歌うか、もしかしたら歌わないかもしれない曲。
今年の夏、れにちゃんが「いままで応援されてばっかだったけど、だれかを励ませるよう」そう言った。
村上さんも、似たようなことを言ってくれていた。
そういう曲です。
でもアイドルって存在だけでだれかの生きる力になるんだよね。
すごい。
単純にラップ曲でめちゃくちゃかっこいいから聴きたいだけ。
あ〜〜関ジャニ∞ももクロ、はよセッションしてほしい〜〜
実質的に黄色はオレンジだし、青の反対色は赤色だし、横山さんとあーりんは顔の分類一緒だし(主観)、忠義と同じでグループの末っ子だから大丈夫。(なにが?)
わたしにとってめちゃくちゃ似ているたましいのもとで生きているふたつのグループ。
最近あまり言わないけど、ずっとジャニーズアイドルのように、息の長いアイドルになりたい、生涯アイドルを目指す、と言っていたももクロちゃん
それだったらその前を、関ジャニ∞さんに走っててほしいだけなんだ。
アイドルが最強って証明してほしいだけなんだ。
ずっとずっと、アイドルが呪縛のように語られる。
年齢の話もされる。
それでも、アイドルだからなんでもできるって照明すると笑っていてくれるももクロを信じている。
だから、関ジャニ∞がアイドルでい続ける未来も信じている。
わたしはその証人になる。

2年連続でくそしんどいよ〜〜!
それでもやっぱり愛されててうれしくて、愛することができてうれしくて。
もっともっと好きになったよ。
ももクロちゃん関ジャニ∞さんも。
ありがとう。
傷だらけで泥だらけでも、走れば血は乾くし泥もいつの間にかとれていると笑うひとたちを好きになりました。
そう胸を張って言える。
それがしあわせ。

わたしのカンパネルラ

ここはわたしの日記です。
いろいろデリケートな部分にも触れていますが知ったこっちゃない。



有安杏果ももクロを脱退して、早一年。
ソロアーティストとして活動を再開するとお知らせがあった。
緑推しおめでとう、がんばってね、そんな気持ちでいた。
ぶっちゃけ、彼女のアートワークにそこまで興味もないので、ずっと浮遊霊めいていた緑推したちが元気になるTLに安堵したのが実のところだ。
コンサートの申し込みもはじまって、ももクロちゃんたちもバレンタインのイベントを間近にひかえた二月六日。
一日ツイッターを見ていなかった夜に飛び込んできた。
杏果に彼氏、そう踊っていたTL。
深呼吸して、まじか、おめでとう、と思うようにした。
彼女は自分の人生を選んでいたし、わたしの気持ちとしては少し距離を置いて、彼女が幸せであれと願う立場になりたいと思っていたから。
ちょっと強がったのも事実だけど。
本人のツイッターで発表したらしい、と自分の肌に合わないからとフォローしていなかった彼女のツイッターを見に行った。
直筆の文章は、彼女が最大限の誠意として書いたのだろうな、と思う文面だった。
そう思う。
でもじわじわと不安めいたなにかがあった。
そのときの気持ちは言葉にはできない。
一読して、週刊誌の記者に囲まれたことも書いてあったので、元ももクロもたいへんだなあ、と思ったのは覚えている。
個人的には、懇意の男性を社長に据えるのは、信頼がおけるとはいえ危ないのではないかとも。
門外漢の人間に権力を与えて、その後金とかで揉めたとか聞きたくないなあ、というのが一番最初に感じた不安だった。
旦那ならまあともかく、お付き合い段階では早いのでは。
それでも、有安杏果がそう決めたのならこれ以上口は出すまい。
そう思って必要以上の汚い言葉は飲み込んだ。
でも、そもそも、活動をサポートとは。
いつからかはわからないけれど、プライベートの知り合いだとしても医師ということで、ある程度医療知識を用いたサポートなのか?
そういうことがよぎった。
率直な意見で、安直な深読みとして、医師と患者との関係性も伺える。
波長が合えばそういう運命もあるかもしれないけど、まって。
お相手、患者に手を出したということになるの?
それってコンプライアンスとしてどうなの?
そうして、彼と、彼女はそう言われるかもしれない一線を越えている可能性が、と報道されてしまった。
いまだに有安杏果と入れるとサジェストで見たくない言葉が出てくる。
医療関係者にとって風評被害以外のなにものでもないんじゃないかな。


彼女の復活の話をしよう。
ももクロ脱退を発表してからきっかり一年。
ソロ活動を発表した。
ずいぶんと計画的だったし、そうとれる動きはツイッターをはじめ節々で感じていた。
「普通の女の子になりたい」
彼女はそう言っていたはずなのに。
ソロ活動について、スターダストとの契約があったのかもしれないし、もし隠していたとしても彼女だけを責められない。
ただ言葉は選んでほしかったな。
嵐の大野さんのように「自由になりたい」だったら、もう少し上手に咀嚼できたのかもしれない。
ごめんね、まだ「ふつうのおんなのこ」は飲み込めていないの。
だから、ソロが発表されても驚かなかった。
ほとんどがそうだったんじゃないかな。
むしろ脱退した1月21日に発表じゃないんだ、くらい。
小学生が書くような丸文字だった彼女の字が、拙くとも大人らしい字になっていて、一年の彼女の努力を物語っていた。
スターダストという大きな事務所から、自分のペースで活動できる個人事務所へ、という選択は、大事務所の庇護がなくなったわけだからうまくやれるといいな、とだけ思っていた。
やりたいことをやるために、ソロとしてのびのびするためにやめたということくらい想像はできたから。
結局やりたいことをやれない目に合わなければいいな。
彼女だけでは無理だから、どうか揃ったスタッフがいいひとたちであるといいな。
ソロが発表された12時から、ももクロの結成日の5時17分にももクロの公式サイトでお祝いのようなコメントがあがるまでにそう願った。
それからひと月ほど経った。


本心のところで、いろいろ複雑ではあるけど報告自体はお祝いしたいのはある。
むしろお幸せに!と心から言える。
けど、事務所まで関わってくるとなると少し話が変わってくる。
彼女はいま、元ももクロの冠のついた新人アーティストだ。
どれほどファンがいようと、知名度があろうと、ソロで活動したことがあっても、ももクロを抜けてからの実績はまだない。
その状況でネガティブな情報が拡散されてしまったということに不安を抱く。
もちろん、週刊誌はそこを狙って報道したことも理解はできる。
いくらSNSで発信しようと、言葉が上手くない。
だからこそ譲れないところには真摯にいようとしてくれるのも。
言葉を尽くしてくれているのも。
アーティストと名乗るからには作品で勝負してなんぼでしょう。
アプリコット有安杏果のコンサートに行きたい、というひとが多いのは杏果がももクロで頑張っていた証拠だ。
22年間の芸能生活の、たった8年の活動を頑張ったからだ。
アイドルとして軌跡を残せたからとはいえ、アーティストとしては?
まだ不確定要素が多すぎる中、こんな情報が出てしまって、彼女の先行きが不安になった。
たとえ内容が嘘八百だろうと、肉付けされた話だろうと、この一度出回ってしまった話はなかなか消せない。
いまだにももクロといれると出てくるサジェスト。
わたしの推しが主犯になってるね。
なにも知りはしないくせに。
世間一般は、それを鵜呑みにする。
だから、こわい。
彼女たちの関係が誠実たるものでも、一生付き纏ってしまうんだろうなあ、と思う。
わたしは彼女のアートワークに感銘は受けないけど、それでも頑張ってほしいと思っている。
それに翳りができてほしくなかったのが正直な気持ちだ。
わたしやファンがどう思おうがいい。
これから有安杏果を知る人間は、ほとんどその一般の大衆だ。
その彼ら彼女らのバイアスになってしまう。


アーティストとはいえ、ビジネスだ。
だからこそ運営は世間の評価なんかを気にしたり、アーティスト自身もファンに還元したりする。
もちろん純粋に支えてくれたひとたちへの感謝もあるだろう。
けれど根本的に、アーティストがいなければファンは生まれず、ファンがいなければアーティストも生活が成り立たない。
だからビジネスだ。
アイドルだってビジネスだ。
有安杏果はもっと複雑な、アイドルとしてビジネスしてきた。
アーティストは作品を提示すればよかったけれど、アイドルは生身の人間が作品だ。
ある程度キャラを作っても、ある程度無茶をしても、それが許される、というかそれが売りになる。
そういう世界だった。
有安はももクロの間はアイドルとして生きてきた。
いつでもファンを顧みていたように思う。
緑推しの、さらに言うなら他推しからの評価も気にしていたこともあるだろうなあ、と思う行動もぽつぽつあった。
なにをしても雁字搦め、蟻地獄のようなみんな「有安杏果」評を持っていた。
それを知っていた彼女はありのままで、とは言いづらい生き方だった。
アイドルとしての看板を下ろした有安に、好きに生きればいいと思ったのは1年前だ。
彼女は間違いなく有安杏果の人生を選んだ。
去年のこの日、スターダスト時代のブログが消えて、ツイッターとインスタグラムがはじまった。
わざわざ名前のタグをいれて、オフィシャルもつけて、待っててくれてありがとうという風にはじめた。
まるで元いたファンを掻き集めるように。
わたしはそれをしてほしくなかった。
もちろん、先に説いたビジネス論としてはとてもわかる。
新規の顧客を掴みに行くより、元ももクロ有安杏果のファンを集めるほうが楽だ。
けれど、そんなアイドルの延長線のアーティストにはなってほしくなかった。
おそらくアーティストになりたいんだろうな、というのはわかっていたからこそ。
キャラクタライズされたももクロ有安杏果を引き摺る人間ばかり集めず、大衆に向かって歌ってほしかった。
みんな、と呼びかけるのはコンサートだけにしてほしかった。
勝手な理想だ。
有安に健全に生きて歌うことだけを願う緑推しもたくさんいるとわかっているけど、彼女に私以上の誇大な「有安杏果」像をいまだに押し付けているようなひとたちまで集めても、と思ってしまう。
そうじゃない!と発憤するひとたちもいるかもしれないけど、去年一年見ての結論です。


アイドルよりかは自由に見えても、ビジネスである以上、アーティストもある程度制約や限定もあるだろう。
長年やっていたらアーティストイメージ、というものもできてくるだろう。
その上で、あまりにもスタートがモヤモヤしすぎて。
個人事務所だからこそ、心配だ。
この一年で、ももクロを離れたひとも、有安を離れたひともそれぞれいるだろう。
それぞれ自分の気持ちに従っているでしょう。
それと同じように、この一年、わたしが見てきた感じてきた範囲で、わたしは彼女のしたいことをわかってあげられない。
たぶん、わたしは怒りたかった。
なにしてるんだ、バカ、と有安の行動を怒りたかった。
23歳は大人とはいえ、まだ新卒という年齢で。
いくら芸能界に長くいたとしても全部自分でできるとは思っていない。
自分が引っかかっていた答え合わせができて、納得できない部分を自分なりに怒ってすっきりと、彼女をお祝いしたかった。
でもあったのは理解できない気持ち悪さだ。
有安杏果がなにをして人生を歩んで行きたいか、彼女の発信からはなにも見えてこない。
なにを当たり前のことを、と思うかもしれないけど、彼女なりに言葉を尽くしてくれたはずなのにわからないってただただ辛い。
理解できないわたしを責める人間もいるだろう。
有安杏果をそのまま受け入れろ、と言う人間もいるだろう。
けれど、評価とは本人に返っていくもので、そこにはそれぞれの価値観も反映される。
そして、深読みや意味を読み取ろうと腐心する人間ばかりではない。
言葉ひとつ、行動ひとつに跳ね返ってきてしまう。
だからこそ心配なのだ。
事務所を、ビジネスを維持していくなかで、有安の対応はいろいろ大丈夫かな、と思うことが増えた。
ただ「普通の女の子」になるなら心配ないことだった。
オフィシャルをつけて発信した日から、そんなもの必要ないのに、と思う気持ちはやまない。
もちろん、生存確認、という意味では安心していた。
けれど、その発信は普通の女の子としてはあまりにも不可解で、アーティストとしては情が湧くものだった。
どこまでもアイドルめいたものだった。
ビジネスとして、アイドルに寄りすぎて、でも本人はアーティストになるなんて、中途半端なイメージしかつかなかった。
それでやっていくなら、結局彼女を受け入れてしまえるだけの「オタク」しか集まらない。
心苦しいほどにそれがいやだった。
広く大衆に受け入れてほしかった。
わたしが、好きになれなくても愛されていてほしかった。
それが叶わないかもしれない。
そこまで悩んだところで、気づいた。
有安自身、ビジネスにならなくても、別に困ることはない。
そういう後ろ盾を手に入れたのだった。
パトロンがいる。
言い方悪いけど、そういうことだ。
アーティストとして、表現と生活を天秤にかけて気にする必要がない。
ビジネスをする必要がない。
そういうことだった。
大衆に歌ってほしいと、愛されていてほしいと思っても、有安がそれを望んで、臨んでいるとは限らない。
純粋な意味でのアートに回帰してしまうのだな、と思った。
支援者がいて表現者がいて、それを受け入れる賛同者がいる。
当日コンサートに必要とされているのはファンでもなくて、彼女の活動の賛同者にすぎない。
世間一般の評価など、彼女に猜疑心を抱く人間の意見など、関係がない。
純粋に彼女を、作品を愛する人間さえいれば成り立つ。
彼女ははこにわのかみさまになるのだ。


くやしくてたまらない。
わたしが好きだった、ひとに愛されたくて仕方がないアイドル有安杏果はもうとっくに死んでいた。
誰かが言っていた。
有安杏果が自己の中の矛盾と戦っている姿に、ひとは愛を見出すのだと。
もう彼女のなかで矛盾はないのかもしれない。
いま見えるのは、安寧な生活と、健やかな笑顔だ。
本望じゃないか。


わたしの音楽は祈りです。
大森靖子ちゃんはそう言った。
そうであれ、とわたしも思う。
よくいろいろなアーティストに救われた、この音楽に救われた、という人もいる。
事実だろう。
でも、まず自分で這い上がる力がなければなにかに救われることがないとは思っている。
残酷な物言いだけど、現実そうだ。
同じものを聞いても、救われないひとはいる。
救われなかったひとには、間に合わなかった。
曲でも歌詞でも、写真でもツイートでも、なにかそこにある愛でも。
わたしもいままでの人生で出会ったなにか、が間に合わなかったらここでこんな文章を書いていないだろう。
だから音楽は祈りであれ、と思う。
いつか救われるだれかのための祈りであれ、と。
ももクロでも、救えなかったおとこのこがいる。
間違いなくひとつの契機になってしまった。
ももクロは巫女だ、と仰った方がいた。
巫女は神への祈りの象徴で、芸能の起源とも。
彼はももクロに関する著書を出したあと、国立競技場大会を見ずして、この世を去った。
はこにわのかみさまになる彼女にも、巫女でいてほしかった。
いつかはかみさまになるのかもしれないけど、もしかしたらいまあの子たち全員かみさまなのかもしれないけど、それでも祈りの歌を歌ってほしかった。
やっぱり、わたしは有安杏果とアイドルとして出会って、そんな彼女を愛していた。


本当に、一年かけて飲み込んできた。
言いたくなかった。
アンチのなかに紛れてあった言葉。
いま今日現在はそんなことを思った自分が馬鹿だ、と思えるし、歩んできた五人のことを否定するのか、と恥ずかしく思うけど。
鬼と悪魔と言われようと、たとえ今後わたし自身アンチと呼ばれようと、わたしが彼女へ抱いていた気持ちが否定されようと、そう思ってしまったことすらわたしは許せないので、それを記す。
ももクロが四人になってくれてほんとうによかった。
同じ方向を向けないひととは、歩んで行けない。
そうだね。
そう納得するしかない瞬間があったことが、わたしの真実だ。
普通とは?という議論になった普通の女の子にこだわった辞め方とか。
卒業ライブでの誤解を招きそうなコメントとか。
いつでもよかったからこそ、なぜか大晦日だった発信とか。
実質わたしは、いろいろ納得できていない。
どの形なら納得できたのかはわからないけど、現状として。
でも、彼女がその道を選んだのなら、もうわたしは言えることもない。
そして、彼女の活動の賛同者にはなれない。
別に杏果推しと争いたいわけではないんですが、だいぶ不快になった方も多いかと。
申し訳ない。
ただ先日とても不愉快になるブログは拝見しました。
でも一部のひとにとったらあれが真実なんだろうな、とは思います。
同じようにわたしの真実はわたしだけのものです。
それ以上でもそれ以下でもありません。


ごめん、有安。
ごめん、杏果。
わたしはあなたを支援はできない。
無条件に許してしまえない。
きっとわたしなんかに理解されることも認められることも求めていないだろうけど。
でも幸せであれ、と願う気持ちも本当だから。
あなたが歩み始めたAnother storyも大切なあなたの人生だから。


もう一生会うことのないおんなのこ。
わたしはアイドル有安杏果が大好きでした。
24歳おめでとう、杏果。

行く道は煌々と

とうとう今日か、という気持ちで夜が明けた。
とは言っても、実感がぜんぜんない。


怒涛の1週間。
渋谷すばるを送り出すセレモニーが、たくさん盛大に行われた。
リアタイできることも少なかったし、地域的に視聴が無理な番組もあったけど、それでも愛されてるなあ、ということが伝わってきた。
もしかしたら、それぞれの関係者のなかにも、飲み込めていないひとや諦めきれていないひともいたかもしれない。
それでも、きちんと彼の行く末を祝福していた。
それがどれだけ、素晴らしいことか、わかってしまうだけに悲しい。
せめて、いままでのすべてが彼のこれからの力となるように。
光となるように。
祈るしかわたしにはできない。


ここ1週間の動きが、とてもとても、ストーリーじみた展開すぎてほんとうに現実感がない。
美しいがゆえに、残酷すぎる。
けれど、物語として完璧なように見えても、まだ、関ジャニ∞の未来も渋谷すばるの人生も続いていく。
そうして幸せになりました、で終わらないのがこの世の中だ。
いままで奇跡のように合っていた符牒や、美しい物語性が伴わなくなっても、おそらく関ジャニ∞は前に進んで行く。
それぞれのブログを見て、みんなの言葉を知れる機会があってよかった。
もしかしたら強がりかもしれない。
本音を隠しているかもしれない。
意地を張っているだけかもしれない。
それを、知ることはできないけれど、わたしはたしかに、彼らの在り方で元気づけられる。
だから、強がりでも意地でも嘘でも誤魔化しでも、いつかそれがほんとうになればいい。
それぞれの形で向き合って、それぞれの形で消化して、笑ってくれるだろう彼らを、わたしはせめて見ていきたい。


関ジャニ∞の6人を残る、残った、と言われることは、もちろん、言葉としては正しいのだけど。
それでも、彼らは選んだ。
渋谷すばるも選んだけど、横山裕も、村上信五丸山隆平安田章大錦戸亮大倉忠義も選んだ。
関ジャニ∞を続けることを間違いなく選んだ。
ありがとう。
わたしはこれからのあなたたちを見ていきたい。


やっぱりどうしても不安で不安で不安で。
でも、期待してしまう。
6人の関ジャニ∞はまだ、この瞬間もだれも見たことがない。
ただ、6人はもう知っている。
打ち合わせで。リハーサルで。ゲネプロで。
未来を作ってくれている。
それでも楽しみにしていてと発してくれる彼らに、最大限の礼をもって会いに行きたい。
悲劇にはしたくないし、させない。
そのパワーに応えたい。
コンサートで待ち合わせしましょう。
そう言ってくれた村上信五さんがやっぱり大好きだよ。


飛行機飛ばないし財布忘れて泣いてる場合じゃないよね!!!!!!

一切和解の無いこの世界がもたらすファンタジー

手記です。


あれから、1ヶ月経ったのか、という実感。
仕事しかしてないよね~~!!!!
嘘です。
ももクロのツアー鹿児島に行きました。
黒豚おいしかったです。


1月15日、世界が急展開した。
不安で不安で不安で。
それなのに時間は進んでしまった。

2月10日、もう一度世界が動いた。
なにもかも、まではいかないけど、何かが吹き飛んだ。
彼女たちの代表曲。
「笑顔と歌声で 世界を照らし出せ」
このキラーフレーズを生み出したヒャダインはもっと誇っていいよ。
ほんと。
ただ、このときあの子たちと共有したいなあと思った。
なにが起こるかわからないけど、でもたしかにあるアイドルの軌跡をともに、見たいと思った。

4月15日、また途方に暮れた。
でも、大丈夫だと。
なによりも少女たちを信じたいから、彼らもそうであれと前を向きたかった。

そうして迎えた5月23日。
長かったのか、短かったのか。
わからないけど、現時点での彼女たちなりの答えを示してくれた。
それまでのオタクのざわめきも、葛藤も、迷いもすべて包もうとしてくれる彼女たちを、アイドルを最強だと笑えるようになった。
それにしても下らない諍いばかりだったね。
悲しませてごめん。
背中を押してくれてありがとう。
選んでくれてありがとう。
わたしたちはあなたたちの標になっていられるかな?
そうであれと願ってばかりだけど、そうであれと言ってくれるのならこれからもサイリウムを照らせればと思う。


長いこといろいろなオタクをやっているけれど、好きなものをほかの誰かにすすめるってすごく体力がいることで。
本とか音楽なら気軽にできるけど、アイドルや役者さんをはじめとする、家から出て時間をとってお金を遣うものって特に。
だからあまりひとにものをオススメすることはなかった。
あったことはあったけど、興味ありそうな友人を誘って、
「でも、私なんかが入ったら本当のファンのひとに悪いから……」
と断られたことがあって、たぶんいろいろなものを諦めた。
本人は本当にそう思ってても、その言葉はわたしにとったらそこまで興味がないからのお断りにしか思えなかった。
だから、というわけじゃないけど。
すごく勇気が必要だった。
2月10日のバレンタインイベントを観て。
4人になってもパワーを発し続ける彼女たちが誇らしかったから。
2月11日にぜひにと誘った。
みんな即答してくれたね。
ありがとう。
たぶんそれだけでよかった。
その気持ちだけでよかった。
4月15日以降、断られるかも、とも思ってて。
わたしとしては踏み台にでもなんにでもしてくれてよかったけど、気持ち的にそうならないのなら仕方はないし。
でも当日、4人でピンクを纏って東京ドームで揃って。
本当によかった。
間違いなく、あなたたちと観れてよかったよ。


推しは永遠ではない。
ひともファンも永遠じゃないのだから当たり前で。
それでも、その存在を、いまこの一瞬を永遠だと思わせてくれるのがアイドルなんだと実感している。
観るまではなにもわからないし観ても自分の望んだ答えじゃないかもしれない。
でも、何人もの緑推しが生き返ったように。
関ジャニ∞も、そのステージでいろいろなものを吹き飛ばしてほしい。
その日に墓標を求めていたひとたちを甦らせてほしいと願うのは、たぶん彼らがアイドルだからで。
いまはそのための日々だと思う。


村上さんのパスポートに出入国スタンプ増えまくったスケジュールにはめちゃくちゃ動揺するけど。
無理はしないでね、と思う反面生き生きと仕事をしている姿にはとても励まされる。
どのアイドルにも言えることだけど、もしかしたら彼ら彼女らでなくてもよかったかもしれない席を、譲らずに前を向けるその姿が美しい。


きょうはあーりんのソロコンサートです。
偶然が重なって奇跡になって、必然になった。
あの空へ向かって、を作詞していない唯一のメンバーになったけど、あなたがその歌に、あなたなりの答えを乗せていると感じています。
あーりんはあーりんだよ。
無神経と気遣いとがさつとコンプレックスと優しさと力強さをおんなじ箱に入れた世界で一番素敵な女の子。
あなたが、アイドルを選び続けてくれたことを誇らしく思います。
あーりんがいてくれたからわたしの世界は、宇宙はどこまでも拡がっていく。
巡り巡って、大事なともだちができて。
わたしの大事な女の子たちを素敵だって言ってくれる、わたしが大事なものをおなじように大事にしてくれる、わたしにとってもったいないくらいのともだち。
ありがとう。
ありきたりな言葉にしかならないけれど。
これからもこの心を抱えて生きて行くと思う。
いつまでも。

号泣する準備はできていた

できてねーよばーーーーーーーーーーーーーか!!!!!!!!!!!

というわけでももいろクローバーZさん10周年おめでとうございます🎊🎊🎊🎊🎊
一口に10年と言っても一瞬でも永遠でもあったんだろうなあと思うなど。
ここ数ヶ月でもいろんなことあったからね!
大変だったよね!
まだまだ大変だよね!
でも、それを楽しんでいる自分がいます。
いまからまた10年、と思っても本当にどうなるかわからなくて、それがアイドルの魅力だとしみじみ実感してる。
それでも永遠の、まだ見ぬ果てを目指してゆく姿は本当に、生きていく力になる。

5年前、ももクロちゃんの現場に行きはじめて。
5年前の今日、はじめて東京に遠征した。
24時間Ustream大賞のライブ。
最近は知りませんけど当時ネット配信なんてまだまだ認知度も低いなか、
休憩や学校があってもほぼほぼ24時間ずっと本人たちが映され続けていたイベント。
最後の最後、25時間目の1時間でしたライブが運命を変えたのだから、本当にわからないね。
紅白直後なのに1,500人のキャパシティーでやってたんだね。
本当におかしなグループだ。
未来を夢見ることはいまだに苦手だけど、それでも次の、来年のももクロちゃんを楽しみにして生きているなあと改めて思いました。

これからもそうでありたいなあ、と思うし、
わたしが離れたとしても、ももクロちゃん自身はその未来を創っていってほしいなって思う。
身勝手だけど。
正直、わたしが知ったももクロは5人だし、いまだにふとした瞬間に傷は軋む。
それでも、いまのももクロを見るとすべて吹き飛ぶしまた、4人だから見れる未来を夢見る。
その強さを与えてくれたのは間違いなくアイドル自身なんだな、ももクロ自身なんだなって思う。
過去を振り返りながらも、現在を楽しんで未来を描くことは悪ではない。
すべて、並立できることだと、教えてくれた。

日付越えてしみじみとしながら眠りについて、まさか出勤途中で17日やんけって泣くと思ってなかったから!
そういうことです。
ありがとう。
ありがとう。
おめでとう。

ひとすじに、ぼくたちは歩いていこう

どうも~~!!!!!!!!
今年入ってから推しグループ両方からメンバーが抜けるオタクです!!!!!!!(自分で傷を抉っていくスタイル)
酒でも飲まないとやってられませんよ。


4月15日。
起きたらめちゃくちゃ不穏なTLで、どうしていいかわからないままそのときを迎えた。
やっぱりお知らせのページは繋がらなくて、続々と、流れてくるツイートでそれを知ることとなる。
みんな言ってるけど、最悪の想定が現実になってしまった。
関ジャニ∞を通じて知り合った友人は、世界が壊れたと、泣きながら言っていた。
うまいなあと、どこか他人事のように思う。
たしかに、世界が壊れた。
関ジャニ∞が、七人で居続けるという未来のある世界が、あの瞬間に崩壊した。
サイトの全文を読み終わっても、わたしはどうしようもなかった。
泣きながら、ただひとつのことに頭を支配されていた。
そうか、関ジャニ∞もか。
頭にあったのは、たぶんそれだけ。
だって、わたし、三ヶ月前にもうひとつの世界の崩壊を目の当たりにしたばかりだもん。
1月15日、本当に、本当にちょうど三ヶ月前の冬の日。
わたしが信じ続けてきた、少女たちの世界が終わったばかりだった。
永遠が儚い夢だとわかった日からたったそれだけで、もうひとつの永遠がそれも夢だと思い知らされただけだった。
まさか、なんで、いやだ。
会見を見て、そんな言葉が出てくる前にあまりの完璧さにうちのめされた。
いまでもうなだれている。
サイトの文章も、会見で伝わってくる様子も、すべて、新規のわたしにすらわかるくらい完璧な関ジャニ∞の七人だった。
六人とひとりになる。
そんなこと微塵も感じさせないくせに、それをわたしたちに突きつけてきた。
あまりにもあの日に似通いすぎていて、何度も何度も確認した。
でも確認すればするほどドッキリでなくて、悪い夢でもなくてひたすらに現実だと思い知らされる。
全くもって一緒で逆に笑えてくる。
わたしは一人ぼっちの部屋で、その二組のことを重ねながら、どうしようもないことだけわかった。

いわゆる兼オタの性かもしれないけれど、好きなグループ同士関連性を見いだすため、重ね合わせることがあった。
彼女たちは嵐を、SMAPを目指していると公言していたし、関ジャニ∞とは人数も違う。
(ただ、昨年のインタビューでマネージャーはジャニーズを目指してる、と言っていた。SMAP解散に則したのか、それとも四人になることを見越していたのかはわからない。)
関ジャニ∞のファンは、ハロプロの兼オタが多いように見える。
けれど、ヒャダインこと前山田健一さんが以前語っていたカウンターカルチャーアイドルとしての視点では、精神性の近しいアイドルグループだと思っている。
あんまり好きな言葉ではないけれど。
以前のつんく♂さんの言葉をお借りすれば、彼女たちは道路本筋に対して路肩を爆走しているらしい。
いわば隙間産業。
それでもひたむきに笑って、無茶なことをやって、無理とも思える頂を目指していた。
そんな彼女たちが好きだったし、そのまま、5人のまま走っていってほしかった。
これは関ジャニ∞にも言える。
それにしても、あまりにも似通いすぎて。
インパクト勝負の変な衣装とか、一時期両グループファンで対立の原因になった戦隊モチーフとか、赤が絶対的なセンターだとか。
おちゃらけたグループのように見せかけてのひたむきさだとか。
両方、メジャーデビューから間もない頃、一人脱退しているとか。(彼、は不可抗力だとしても)
そして、今回。
年数は違えど節目の記念を前に、立場はまた違うけど歌唱の要と言われているメンバーがいなくなることだとか。
先に抜けた二人はそれぞれ、同じ事務所で違う形で活躍しているというのに、今年に入って抜ける二人は、いままでとまったく違う世界に飛び立ってしまう。
そんな符丁、重ならなくてよかったのに。


わたしは去年からファンになったばかりの、新規だ。
ジャニーズを明確に推そうと思ったのも初めて。
それでも、幼いころはジュニアの番組を観ていたし、嵐のあのデビュー会見をテレビで見た記憶はある。
曲がりなりに女子なのでそこまで興味はなくてもクラスメイトと仁亀論争をしたし、高校時代の友人には手越担もいた。
そういう具合に、なんとなくふわっとふれあう距離でジャニーズと接していた。
その中で、関ジャニ∞というのは、地方のど田舎出身ということもあってよくわからない存在だった。
友人に関ジャニ∞をかんじゃにえいと、と読むことを教えてもらった程度しかない。
それなのにふと見た映像も画像も、彼、渋谷すばるがずっと真ん中にいたように思う。
とても強烈な印象として残っている。
沼に飛び込んだいまでも、渋谷すばる関ジャニ∞の核だと信じて疑わなかった。
本人が望む望まないに関わらず、それほど彼は鮮烈だった。
当然、過去の渋谷さんはわからないし、荒れていた彼を知らないので語る言葉を持たない。
けれど、ここ最近の渋谷さんを表する言葉が「アイドル」というキーワードだとはあまりにも皮肉すぎる。
伝聞でしかないけれど、自己の在り方と、アイドルでなければならないという葛藤が存在していた時期もあったのだろうと思う。
それでも、彼はアイドルとしてステージに立っていた。
立ち続けた。
最近の様子に、彼のなかで対立していたものが融け合ったのだと、終着点を見つけたのだと、一方的に安心していた。(これ、彼女のときも言ってたなあ。)
かつて聞こえていた、危うげな彼から脱皮して始まるのだと。
でもその羽化は、ファンが望んでなかった形だった。
アイドルオタクとして言うけれど、アーティストとアイドルの優劣をつけるかのような言葉、アイドルらしからぬ、や、アイドルを越えた、という表現は好きではない。
所詮、アーティストもアイドルもカテゴライズでしかない。
その思いで、アーティスティックなアイドルがいてもいいじゃないか、と思っている。
アイドルって言葉は、渋谷すばるの在り様ですら包む言葉だと信じている。
でも、彼が選んだのは、そういうことではなかった。
彼は、これからの人生をひとりで歩むことを決めてしまった。
あまりに完璧な口上に、その在り方に、なにも言えない。
なんでもどうしても、彼と、メンバーに封じられてしまった。
それくらい、みんなが、渋谷すばるが、関ジャニ∞を愛してることが伝わってきた。
言わせてほしかった。
文句も恨み言も、言いながら泣きたかった。
それなのにただただ、どうしようもない思いで静かに泣いた。
いまも泣いている。

おそらく、渋谷さんは彼の人生を、音楽を関ジャニ∞に背負わせたくなかったのだなあと思う。
グループは、よくも悪くも運命共同体だから。
最高も最悪も共有していく。
渋谷さんがこうしたいと一言言えば、他のメンバーは叶えるために全力を尽くすだろう。
それを指標としただろう。
いままでのように。
事務所だって、レコード会社だってその道を模索するだろう。
けれど、それを選ばなかった。
もちろん、アイドル事務所で、自主レーベルだからいろいろな整備不足やしがらみ、意思決定までの遅さを疎んだ側面もあっただろうけど、それよりも、途方もない夢への道連れに、運命共同体だったはずのメンバーを付き合わせないことを選んだ。
しがらみを切り捨てた。
いままで通り、わがままを貫き通してくれればよかったのに。
でも、関ジャニ∞はアイドルで、それぞれがそれぞれの道をひとりひとりの形で見つけ始めた中で、きっとそれはあまりにも重荷で、それ以上の負担だと思ってしまったのかな。
なにをするにしても、グループとしての取捨選択としてきたものは、いままではだれかの可能性を生み出してきたことだったと捉えられるけれど、それはまた別の可能性は殺してきたことに気づいてしまったのかな。
そんなこと、愛してなければできない。
あまりにも愛にあふれてなければ、選ばないことだと、考えてしまった。

それにしてもこんなときなのに、渋谷さんに感謝したくなっている。
彼女、の選択もそうだったのかもしれないと、いまさらになって思う。
三ヶ月納得できなかった、彼女のリタイア。
グループはどうしても個人の一意見でもそれが意思決定として、方向性として決まってしまえばみんな同じ方向を向くしかない。
個人のわがままを、グループに背負わせることになる。
彼女も、なにを内包していたかはあれ以上わからないけれど、好きだったからこそグループに言うことにしたのは、たったひとつのわがままだったのかもしれない。
そう思えるようになった。


唐突に推しの宣伝ですけど。
彼女がソロコンで「青春賦」という曲を選んだことで、わたしは当日、化粧がすべて消え去るくらい泣いた。
『生まれた朝に 手渡されてた
 ずいぶん不公平な旅行カバン』
この、「青春賦」の歌い始めは、いささか重苦しく始まる。
なにを意味していたかはわからないけれど、この歌詞を手話という表現で歌ったあと、「なにもない自分」と言った推しに涙した日を思い出した。
逃げるように辿った先でまた追い詰められた。
渋谷さんからしたら、ばちりと填まってしまったセンター性も、耳目を集めてしまうカリスマも、類まれなるセンスも、その美貌も、ともすればその歌声だって、行く道においての不公平な旅行カバンだったのかもしれない。
わからないけれど。
でも、光る荷物を増やしてきたいままでを抱えて、ただひとりで歩むことを決めてしまった。

あの日、あの冬の一週間。
たぶん、エイターさんの中にも彼女の卒業に嫌だと泣き叫ぶファンを一笑に付したひとがいると思う。
仕方ないのだからと言い切ったひとがいると思う。
喧嘩を売るわけではないけれど、なんで高みの見物できたんだろう。
仕方ないとわかっていても、どうしようもなくても、ただ嫌だった。
同じように本人たちによって、信じていたものが打ち破られたんだ。
もちろん、わたしにだって一度世界が壊れたくせに、この世界は、関ジャニ∞は大丈夫という慢心はあった。
でも、絶対なんかない。
なかった。
わたしはあの日知ってしまった。
だから、そうか、しか出てこない。
だから、頭ではいろいろ考えても言葉を探しても、心はどこか、これを納める場所を知っている。
そして、いま、どうしようもないことだけ知っている。
どんなに泣いても叫んでも、文句を言っても過去を恨んでも、希望をかき集めようとしても、絶望にうちひしがれても、刻一刻と時間は過ぎていく。
働いている間にすら、こんなブログ書いている間にすら。
七人の関ジャニ∞は過去になっていく。
また、夜が明けないでほしいと、次の日にならないでほしいと、願う日が来るなんて思ってはなかったよ。


そのくせ、心は悲しみのわりに凪いでいる。
だって、本当にどうしようもない。
答えを急いでもなにが正解かなんて、わからなくて、これからどうなるのかなんてもっとわからない。
時間が解決してくれるなんて、だれかは言うかもしれないけれど、そういう問題じゃない。
いつまでも傷は残るしふと思い出して引き攣れる。
癒えたように見えても、忘れたように思えても決して消えるわけじゃない。
ただ、答えは出る。
六人で歩み始める関ジャニ∞を目の当たりにしたら、それがどんなものでも、ファンそれぞれ、ひとりひとりの答えがいつか出てしまうだろう。
六人の関ジャニ∞を見たら、自ずとそこにまた新しい感情が生まれてしまう。
むしろ、そこからはじまってしまう。
納得して前を向けるのか、さらに煩悶するのか、地獄に行くのか。
それがわからない。
だから明日が来るのがこわい。
でもそれ以上に見てしまいたいと思う。
不完全でも不恰好でも、完璧な、六人の関ジャニ∞としての答えを。
そうしなければ、わたしは決着がつかない。

あの、仕事で行けなかった1月21日。
アンコールは彼女を抜かした四人だった。
そうして歌ったすべてのはじまり「あの空へ向かって」。
現場にいてもいなくても、強制的に新しいはじまりを見せられた。
理解させられた。
あれは、残酷だけど、正しかったと思う。
前を向いている。
その言葉に嘘はなかった。
2月10日のバレンタインイベントに至っては、メンバーの名前入りのメジャーデビュー曲が出落ちのネタ曲になって、感傷に浸る術すら奪われた。
笑うしかなかった。
でもそれに救われた。
一番最初に彼女のパートを継いだのも、ネタ曲になった理由も、わたしの推しだ。
彼女の強さで、彼女たちの強さで救われた。
振付も歌割もガラリと変わった苦労をおくびに出さない彼女たちの笑顔をひたすらに追いかけたいと、心が決まった。

たぶん、ツアーを六人でと決めた彼らも、そうして前を向いた姿を見せてくれるために、そう決めたのだと思いたい。
それまで感情は振り切れるし躁と鬱とを繰り返すだろう。
それからも、もしかして、という不安と戦うことになるだろう。
彼女たちに関しても同じだから。
いまでも、このまま周年終わったら燃え尽きるんじゃないかか、まただれか抜けるんじゃないか、なんだったらいつか解散してしまうんじゃないかと過る。
でもテレビに写るたび、現場に行くたびそんなことは吹き飛ぶ。
傷ついてもなお美しい少女たちを、いつまでも見続けるんだと夢を見る。
関ジャニ∞も、そんな風に圧倒してくれることを、願っている。
反吐が出る。
アイドルは夢を見させる職業だと。
簡単に言ってくれるけど、見せる方も見る方も本当に大変だ。
でも、そんなパワーがあるからこそ、アイドルだと言いたい。
関ジャニ∞はアイドルで、六人でも夢を見たい。
それがいつか破れる刹那だとしても、八人時代の夢が嘘じゃなかったように、七人の関ジャニ∞が幻想じゃなかったように、六人の未来もいまわたしたちの中にある。
いつかがくるまで、その一瞬は永遠だ。


それでも、あんなにも苦しそうな横山さんを、力なく微笑む丸山さんを、ブスくれている大倉さんを、所在無さげな錦戸さんを、頑なに笑い続ける村上さんを、そして、いっそ清廉なまでにまっすぐな渋谷さんを見たくなんかなかった。
本当に。
たとえ決まりきったことでも、関ジャニ∞を全うしていたからこそ、あの日まで疑いなくいた。
夢を見ていた。
なんと言われても、プロのアイドルだ。
関ジャニ∞はアイドルだ。

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この記事の中にアホみたいな質問があるけれど。
彼女たちのその答えがすべてだと思う。
アイドルだって選んで、その選んだ道を普通として生きている。
そして、選ぶということは、できることもできないことも取捨選択して、可能性を生かして殺すということだ。
アイドルだけでなく、芸能人だけでなく、だれだってやっている。
ただ彼ら彼女らは、ファンだとかスタッフだとか、事務所だとかメンバーだとか、巻き込む規模が大きくてなかなか本人の意志は見えづらくなってしまう。
その中で、自分ひとり立って可能性を切り捨てた渋谷さんは、迷いなく本人の意志で、本当に飛び立ってしまうのだ。
いつか、メンバーがいないと生きていけないと言っていたのに。
村上さんが会見に出た理由だと言っていたのに、口べたな男は淀みなく自分ひとりの選択を晴れやかに話した。
それが、なによりの覚悟だった。

渋谷すばるが自分の人生を選んだように、錦戸亮安田章大丸山隆平村上信五横山裕も、険しい永遠を選んだ。
間違いなく、彼らも彼ら自身で選んだ。
ファンのためという大義名分があっても、その道を選んだのは彼ら自身の意志だ。
アイドルとして夢を見せると、選んだのだ。
一度破れた夢をもう一度見せることがどれほど困難なことか。
渋谷さんも、六人も、安易な道もなあなあな馴れ合いも選ばなかった。
格好いいとしか、言えない。
それなのに悲しくて涙が溢れてくる。


これが過去になることすら許せないこと気持ちもある。
怒りを、悲しみを忘れることを恐れる気持ちもある。
でも、それもいつか風化させるくらい、彼らが幸せになってほしいという気持ちもたしかに、ある。
なにもかも許せない気持ちがあっても、いつか氷解はやってくる。
その日がくるまで、ファンもメンバーも傷ついては振り返ってまた傷ついて、そうして前に進まざるを得ない。
それまでは、多いに悲しんで怒って駄々こねて。
それでいい。

怒られるだろうけど、何度も言う。
大事な、再出発で不安も悲しみも吹き飛ばした女の子たちを知っている。
だから、と言いたい。
だから、彼らもできないはずがないって思ってしまっている。
関ジャニ∞が本当にすごいなあ、と思うのは、六人の再出発をきちんと、自分たちの手で選んだことだ。
感傷に浸る時間を延ばさず、次の最善を考えて一丸になっている。
彼らに託した渋谷すばるも、その選択には一緒にいる。
六人の輪が和になるように、七人で選んだ。
ぽろぽろと溢れるような不安はあるのに、次を見せようとしている。
彼女たちは、そこはまだ、運営主導だった。
でもできたのだから。
わたしはアイドルの強さを信じている。

「新生関ジャニ∞」を見せるまで、それこそがむしゃらに愚直なまでに進むのだろうな。
傷の存在を、欠けた形を、感じさせないためにも。
皮肉にも、同じような筋書きを描いてしまったわたしの大好きな二つのグループは今年、再出発を見せてくれる。
あの日が来るまで、四人の彼女たちを知らなかったように、いま、六人の関ジャニ∞を知る人間はまだいない。
こちらがまた不安になるくらい、いつか折れてしまうんじゃないかと思うくらい、ちょっとくらい休んでもよかったのに、と言いたくなるくらい、大きな決断。
それでも、走り続けると決めてくれた。
一年だけ彼を引き留めて、周年をやりきって解散って道があったというのにそれはしなかった。
さらにその先の光景を関ジャニ∞として見せようとしてくれている。
決めたのは本人たちで、ファンはそれを信じる存在でしかない。
傷ついて混乱しても、その未来を見ていきたいと思う、素敵なグループに出会えてよかった。


アイドルは所詮、ブラックボックスだ。
関ジャニ∞のように、いくら開けて見えても、提供された情景を楽しむ箱庭でしかない。
それを痛感している。
あの会見の村上さんは、それはもう完璧に、世間が知っている関ジャニ∞村上信五だった。
痛々しいほどに全うする彼は、渋谷さんだけが知る村上信五を箱に入れて宇宙に解き放つ準備をしてしまったように思う。
ときどきファンに垣間見せてくれたそれを、見ることはもう叶わない。
松原.だけでなく、横すばも丸すばもやすばも気まずいも、倉すばも、渋谷すばると繋がっていた関係の先を直接見ることはもうできない。
ブラックボックスに仕舞い込まれてしまう。
それも、ひたすらに残念だ。
だからと言ってそれは責めない。
見えなくなるだけで、過去は嘘でなかったし、これからもきっとこの宇宙どこかに存在している。
ただただ、いままでと同じように、今ある情景が永遠だと夢見させてほしい。
これからも見せてくれる未来を、笑ってくれる世界を信じて、関ジャニ∞ももいろクローバーZも愛していきたい。



追伸

有安杏果と、同じことを言おう。
彼に夢を見る限り、わたしにとって渋谷すばるも、アイドルだ。
ずっとずっと。