百億の月

いま小さく脈打つメロディー

わたしのカンパネルラ

ここはわたしの日記です。
いろいろデリケートな部分にも触れていますが知ったこっちゃない。



有安杏果ももクロを脱退して、早一年。
ソロアーティストとして活動を再開するとお知らせがあった。
緑推しおめでとう、がんばってね、そんな気持ちでいた。
ぶっちゃけ、彼女のアートワークにそこまで興味もないので、ずっと浮遊霊めいていた緑推したちが元気になるTLに安堵したのが実のところだ。
コンサートの申し込みもはじまって、ももクロちゃんたちもバレンタインのイベントを間近にひかえた二月六日。
一日ツイッターを見ていなかった夜に飛び込んできた。
杏果に彼氏、そう踊っていたTL。
深呼吸して、まじか、おめでとう、と思うようにした。
彼女は自分の人生を選んでいたし、わたしの気持ちとしては少し距離を置いて、彼女が幸せであれと願う立場になりたいと思っていたから。
ちょっと強がったのも事実だけど。
本人のツイッターで発表したらしい、と自分の肌に合わないからとフォローしていなかった彼女のツイッターを見に行った。
直筆の文章は、彼女が最大限の誠意として書いたのだろうな、と思う文面だった。
そう思う。
でもじわじわと不安めいたなにかがあった。
そのときの気持ちは言葉にはできない。
一読して、週刊誌の記者に囲まれたことも書いてあったので、元ももクロもたいへんだなあ、と思ったのは覚えている。
個人的には、懇意の男性を社長に据えるのは、信頼がおけるとはいえ危ないのではないかとも。
門外漢の人間に権力を与えて、その後金とかで揉めたとか聞きたくないなあ、というのが一番最初に感じた不安だった。
旦那ならまあともかく、お付き合い段階では早いのでは。
それでも、有安杏果がそう決めたのならこれ以上口は出すまい。
そう思って必要以上の汚い言葉は飲み込んだ。
でも、そもそも、活動をサポートとは。
いつからかはわからないけれど、プライベートの知り合いだとしても医師ということで、ある程度医療知識を用いたサポートなのか?
そういうことがよぎった。
率直な意見で、安直な深読みとして、医師と患者との関係性も伺える。
波長が合えばそういう運命もあるかもしれないけど、まって。
お相手、患者に手を出したということになるの?
それってコンプライアンスとしてどうなの?
そうして、彼と、彼女はそう言われるかもしれない一線を越えている可能性が、と報道されてしまった。
いまだに有安杏果と入れるとサジェストで見たくない言葉が出てくる。
医療関係者にとって風評被害以外のなにものでもないんじゃないかな。


彼女の復活の話をしよう。
ももクロ脱退を発表してからきっかり一年。
ソロ活動を発表した。
ずいぶんと計画的だったし、そうとれる動きはツイッターをはじめ節々で感じていた。
「普通の女の子になりたい」
彼女はそう言っていたはずなのに。
ソロ活動について、スターダストとの契約があったのかもしれないし、もし隠していたとしても彼女だけを責められない。
ただ言葉は選んでほしかったな。
嵐の大野さんのように「自由になりたい」だったら、もう少し上手に咀嚼できたのかもしれない。
ごめんね、まだ「ふつうのおんなのこ」は飲み込めていないの。
だから、ソロが発表されても驚かなかった。
ほとんどがそうだったんじゃないかな。
むしろ脱退した1月21日に発表じゃないんだ、くらい。
小学生が書くような丸文字だった彼女の字が、拙くとも大人らしい字になっていて、一年の彼女の努力を物語っていた。
スターダストという大きな事務所から、自分のペースで活動できる個人事務所へ、という選択は、大事務所の庇護がなくなったわけだからうまくやれるといいな、とだけ思っていた。
やりたいことをやるために、ソロとしてのびのびするためにやめたということくらい想像はできたから。
結局やりたいことをやれない目に合わなければいいな。
彼女だけでは無理だから、どうか揃ったスタッフがいいひとたちであるといいな。
ソロが発表された12時から、ももクロの結成日の5時17分にももクロの公式サイトでお祝いのようなコメントがあがるまでにそう願った。
それからひと月ほど経った。


本心のところで、いろいろ複雑ではあるけど報告自体はお祝いしたいのはある。
むしろお幸せに!と心から言える。
けど、事務所まで関わってくるとなると少し話が変わってくる。
彼女はいま、元ももクロの冠のついた新人アーティストだ。
どれほどファンがいようと、知名度があろうと、ソロで活動したことがあっても、ももクロを抜けてからの実績はまだない。
その状況でネガティブな情報が拡散されてしまったということに不安を抱く。
もちろん、週刊誌はそこを狙って報道したことも理解はできる。
いくらSNSで発信しようと、言葉が上手くない。
だからこそ譲れないところには真摯にいようとしてくれるのも。
言葉を尽くしてくれているのも。
アーティストと名乗るからには作品で勝負してなんぼでしょう。
アプリコット有安杏果のコンサートに行きたい、というひとが多いのは杏果がももクロで頑張っていた証拠だ。
22年間の芸能生活の、たった8年の活動を頑張ったからだ。
アイドルとして軌跡を残せたからとはいえ、アーティストとしては?
まだ不確定要素が多すぎる中、こんな情報が出てしまって、彼女の先行きが不安になった。
たとえ内容が嘘八百だろうと、肉付けされた話だろうと、この一度出回ってしまった話はなかなか消せない。
いまだにももクロといれると出てくるサジェスト。
わたしの推しが主犯になってるね。
なにも知りはしないくせに。
世間一般は、それを鵜呑みにする。
だから、こわい。
彼女たちの関係が誠実たるものでも、一生付き纏ってしまうんだろうなあ、と思う。
わたしは彼女のアートワークに感銘は受けないけど、それでも頑張ってほしいと思っている。
それに翳りができてほしくなかったのが正直な気持ちだ。
わたしやファンがどう思おうがいい。
これから有安杏果を知る人間は、ほとんどその一般の大衆だ。
その彼ら彼女らのバイアスになってしまう。


アーティストとはいえ、ビジネスだ。
だからこそ運営は世間の評価なんかを気にしたり、アーティスト自身もファンに還元したりする。
もちろん純粋に支えてくれたひとたちへの感謝もあるだろう。
けれど根本的に、アーティストがいなければファンは生まれず、ファンがいなければアーティストも生活が成り立たない。
だからビジネスだ。
アイドルだってビジネスだ。
有安杏果はもっと複雑な、アイドルとしてビジネスしてきた。
アーティストは作品を提示すればよかったけれど、アイドルは生身の人間が作品だ。
ある程度キャラを作っても、ある程度無茶をしても、それが許される、というかそれが売りになる。
そういう世界だった。
有安はももクロの間はアイドルとして生きてきた。
いつでもファンを顧みていたように思う。
緑推しの、さらに言うなら他推しからの評価も気にしていたこともあるだろうなあ、と思う行動もぽつぽつあった。
なにをしても雁字搦め、蟻地獄のようなみんな「有安杏果」評を持っていた。
それを知っていた彼女はありのままで、とは言いづらい生き方だった。
アイドルとしての看板を下ろした有安に、好きに生きればいいと思ったのは1年前だ。
彼女は間違いなく有安杏果の人生を選んだ。
去年のこの日、スターダスト時代のブログが消えて、ツイッターとインスタグラムがはじまった。
わざわざ名前のタグをいれて、オフィシャルもつけて、待っててくれてありがとうという風にはじめた。
まるで元いたファンを掻き集めるように。
わたしはそれをしてほしくなかった。
もちろん、先に説いたビジネス論としてはとてもわかる。
新規の顧客を掴みに行くより、元ももクロ有安杏果のファンを集めるほうが楽だ。
けれど、そんなアイドルの延長線のアーティストにはなってほしくなかった。
おそらくアーティストになりたいんだろうな、というのはわかっていたからこそ。
キャラクタライズされたももクロ有安杏果を引き摺る人間ばかり集めず、大衆に向かって歌ってほしかった。
みんな、と呼びかけるのはコンサートだけにしてほしかった。
勝手な理想だ。
有安に健全に生きて歌うことだけを願う緑推しもたくさんいるとわかっているけど、彼女に私以上の誇大な「有安杏果」像をいまだに押し付けているようなひとたちまで集めても、と思ってしまう。
そうじゃない!と発憤するひとたちもいるかもしれないけど、去年一年見ての結論です。


アイドルよりかは自由に見えても、ビジネスである以上、アーティストもある程度制約や限定もあるだろう。
長年やっていたらアーティストイメージ、というものもできてくるだろう。
その上で、あまりにもスタートがモヤモヤしすぎて。
個人事務所だからこそ、心配だ。
この一年で、ももクロを離れたひとも、有安を離れたひともそれぞれいるだろう。
それぞれ自分の気持ちに従っているでしょう。
それと同じように、この一年、わたしが見てきた感じてきた範囲で、わたしは彼女のしたいことをわかってあげられない。
たぶん、わたしは怒りたかった。
なにしてるんだ、バカ、と有安の行動を怒りたかった。
23歳は大人とはいえ、まだ新卒という年齢で。
いくら芸能界に長くいたとしても全部自分でできるとは思っていない。
自分が引っかかっていた答え合わせができて、納得できない部分を自分なりに怒ってすっきりと、彼女をお祝いしたかった。
でもあったのは理解できない気持ち悪さだ。
有安杏果がなにをして人生を歩んで行きたいか、彼女の発信からはなにも見えてこない。
なにを当たり前のことを、と思うかもしれないけど、彼女なりに言葉を尽くしてくれたはずなのにわからないってただただ辛い。
理解できないわたしを責める人間もいるだろう。
有安杏果をそのまま受け入れろ、と言う人間もいるだろう。
けれど、評価とは本人に返っていくもので、そこにはそれぞれの価値観も反映される。
そして、深読みや意味を読み取ろうと腐心する人間ばかりではない。
言葉ひとつ、行動ひとつに跳ね返ってきてしまう。
だからこそ心配なのだ。
事務所を、ビジネスを維持していくなかで、有安の対応はいろいろ大丈夫かな、と思うことが増えた。
ただ「普通の女の子」になるなら心配ないことだった。
オフィシャルをつけて発信した日から、そんなもの必要ないのに、と思う気持ちはやまない。
もちろん、生存確認、という意味では安心していた。
けれど、その発信は普通の女の子としてはあまりにも不可解で、アーティストとしては情が湧くものだった。
どこまでもアイドルめいたものだった。
ビジネスとして、アイドルに寄りすぎて、でも本人はアーティストになるなんて、中途半端なイメージしかつかなかった。
それでやっていくなら、結局彼女を受け入れてしまえるだけの「オタク」しか集まらない。
心苦しいほどにそれがいやだった。
広く大衆に受け入れてほしかった。
わたしが、好きになれなくても愛されていてほしかった。
それが叶わないかもしれない。
そこまで悩んだところで、気づいた。
有安自身、ビジネスにならなくても、別に困ることはない。
そういう後ろ盾を手に入れたのだった。
パトロンがいる。
言い方悪いけど、そういうことだ。
アーティストとして、表現と生活を天秤にかけて気にする必要がない。
ビジネスをする必要がない。
そういうことだった。
大衆に歌ってほしいと、愛されていてほしいと思っても、有安がそれを望んで、臨んでいるとは限らない。
純粋な意味でのアートに回帰してしまうのだな、と思った。
支援者がいて表現者がいて、それを受け入れる賛同者がいる。
当日コンサートに必要とされているのはファンでもなくて、彼女の活動の賛同者にすぎない。
世間一般の評価など、彼女に猜疑心を抱く人間の意見など、関係がない。
純粋に彼女を、作品を愛する人間さえいれば成り立つ。
彼女ははこにわのかみさまになるのだ。


くやしくてたまらない。
わたしが好きだった、ひとに愛されたくて仕方がないアイドル有安杏果はもうとっくに死んでいた。
誰かが言っていた。
有安杏果が自己の中の矛盾と戦っている姿に、ひとは愛を見出すのだと。
もう彼女のなかで矛盾はないのかもしれない。
いま見えるのは、安寧な生活と、健やかな笑顔だ。
本望じゃないか。


わたしの音楽は祈りです。
大森靖子ちゃんはそう言った。
そうであれ、とわたしも思う。
よくいろいろなアーティストに救われた、この音楽に救われた、という人もいる。
事実だろう。
でも、まず自分で這い上がる力がなければなにかに救われることがないとは思っている。
残酷な物言いだけど、現実そうだ。
同じものを聞いても、救われないひとはいる。
救われなかったひとには、間に合わなかった。
曲でも歌詞でも、写真でもツイートでも、なにかそこにある愛でも。
わたしもいままでの人生で出会ったなにか、が間に合わなかったらここでこんな文章を書いていないだろう。
だから音楽は祈りであれ、と思う。
いつか救われるだれかのための祈りであれ、と。
ももクロでも、救えなかったおとこのこがいる。
間違いなくひとつの契機になってしまった。
ももクロは巫女だ、と仰った方がいた。
巫女は神への祈りの象徴で、芸能の起源とも。
彼はももクロに関する著書を出したあと、国立競技場大会を見ずして、この世を去った。
はこにわのかみさまになる彼女にも、巫女でいてほしかった。
いつかはかみさまになるのかもしれないけど、もしかしたらいまあの子たち全員かみさまなのかもしれないけど、それでも祈りの歌を歌ってほしかった。
やっぱり、わたしは有安杏果とアイドルとして出会って、そんな彼女を愛していた。


本当に、一年かけて飲み込んできた。
言いたくなかった。
アンチのなかに紛れてあった言葉。
いま今日現在はそんなことを思った自分が馬鹿だ、と思えるし、歩んできた五人のことを否定するのか、と恥ずかしく思うけど。
鬼と悪魔と言われようと、たとえ今後わたし自身アンチと呼ばれようと、わたしが彼女へ抱いていた気持ちが否定されようと、そう思ってしまったことすらわたしは許せないので、それを記す。
ももクロが四人になってくれてほんとうによかった。
同じ方向を向けないひととは、歩んで行けない。
そうだね。
そう納得するしかない瞬間があったことが、わたしの真実だ。
普通とは?という議論になった普通の女の子にこだわった辞め方とか。
卒業ライブでの誤解を招きそうなコメントとか。
いつでもよかったからこそ、なぜか大晦日だった発信とか。
実質わたしは、いろいろ納得できていない。
どの形なら納得できたのかはわからないけど、現状として。
でも、彼女がその道を選んだのなら、もうわたしは言えることもない。
そして、彼女の活動の賛同者にはなれない。
別に杏果推しと争いたいわけではないんですが、だいぶ不快になった方も多いかと。
申し訳ない。
ただ先日とても不愉快になるブログは拝見しました。
でも一部のひとにとったらあれが真実なんだろうな、とは思います。
同じようにわたしの真実はわたしだけのものです。
それ以上でもそれ以下でもありません。


ごめん、有安。
ごめん、杏果。
わたしはあなたを支援はできない。
無条件に許してしまえない。
きっとわたしなんかに理解されることも認められることも求めていないだろうけど。
でも幸せであれ、と願う気持ちも本当だから。
あなたが歩み始めたAnother storyも大切なあなたの人生だから。


もう一生会うことのないおんなのこ。
わたしはアイドル有安杏果が大好きでした。
24歳おめでとう、杏果。

行く道は煌々と

とうとう今日か、という気持ちで夜が明けた。
とは言っても、実感がぜんぜんない。


怒涛の1週間。
渋谷すばるを送り出すセレモニーが、たくさん盛大に行われた。
リアタイできることも少なかったし、地域的に視聴が無理な番組もあったけど、それでも愛されてるなあ、ということが伝わってきた。
もしかしたら、それぞれの関係者のなかにも、飲み込めていないひとや諦めきれていないひともいたかもしれない。
それでも、きちんと彼の行く末を祝福していた。
それがどれだけ、素晴らしいことか、わかってしまうだけに悲しい。
せめて、いままでのすべてが彼のこれからの力となるように。
光となるように。
祈るしかわたしにはできない。


ここ1週間の動きが、とてもとても、ストーリーじみた展開すぎてほんとうに現実感がない。
美しいがゆえに、残酷すぎる。
けれど、物語として完璧なように見えても、まだ、関ジャニ∞の未来も渋谷すばるの人生も続いていく。
そうして幸せになりました、で終わらないのがこの世の中だ。
いままで奇跡のように合っていた符牒や、美しい物語性が伴わなくなっても、おそらく関ジャニ∞は前に進んで行く。
それぞれのブログを見て、みんなの言葉を知れる機会があってよかった。
もしかしたら強がりかもしれない。
本音を隠しているかもしれない。
意地を張っているだけかもしれない。
それを、知ることはできないけれど、わたしはたしかに、彼らの在り方で元気づけられる。
だから、強がりでも意地でも嘘でも誤魔化しでも、いつかそれがほんとうになればいい。
それぞれの形で向き合って、それぞれの形で消化して、笑ってくれるだろう彼らを、わたしはせめて見ていきたい。


関ジャニ∞の6人を残る、残った、と言われることは、もちろん、言葉としては正しいのだけど。
それでも、彼らは選んだ。
渋谷すばるも選んだけど、横山裕も、村上信五丸山隆平安田章大錦戸亮大倉忠義も選んだ。
関ジャニ∞を続けることを間違いなく選んだ。
ありがとう。
わたしはこれからのあなたたちを見ていきたい。


やっぱりどうしても不安で不安で不安で。
でも、期待してしまう。
6人の関ジャニ∞はまだ、この瞬間もだれも見たことがない。
ただ、6人はもう知っている。
打ち合わせで。リハーサルで。ゲネプロで。
未来を作ってくれている。
それでも楽しみにしていてと発してくれる彼らに、最大限の礼をもって会いに行きたい。
悲劇にはしたくないし、させない。
そのパワーに応えたい。
コンサートで待ち合わせしましょう。
そう言ってくれた村上信五さんがやっぱり大好きだよ。


飛行機飛ばないし財布忘れて泣いてる場合じゃないよね!!!!!!

一切和解の無いこの世界がもたらすファンタジー

手記です。


あれから、1ヶ月経ったのか、という実感。
仕事しかしてないよね~~!!!!
嘘です。
ももクロのツアー鹿児島に行きました。
黒豚おいしかったです。


1月15日、世界が急展開した。
不安で不安で不安で。
それなのに時間は進んでしまった。

2月10日、もう一度世界が動いた。
なにもかも、まではいかないけど、何かが吹き飛んだ。
彼女たちの代表曲。
「笑顔と歌声で 世界を照らし出せ」
このキラーフレーズを生み出したヒャダインはもっと誇っていいよ。
ほんと。
ただ、このときあの子たちと共有したいなあと思った。
なにが起こるかわからないけど、でもたしかにあるアイドルの軌跡をともに、見たいと思った。

4月15日、また途方に暮れた。
でも、大丈夫だと。
なによりも少女たちを信じたいから、彼らもそうであれと前を向きたかった。

そうして迎えた5月23日。
長かったのか、短かったのか。
わからないけど、現時点での彼女たちなりの答えを示してくれた。
それまでのオタクのざわめきも、葛藤も、迷いもすべて包もうとしてくれる彼女たちを、アイドルを最強だと笑えるようになった。
それにしても下らない諍いばかりだったね。
悲しませてごめん。
背中を押してくれてありがとう。
選んでくれてありがとう。
わたしたちはあなたたちの標になっていられるかな?
そうであれと願ってばかりだけど、そうであれと言ってくれるのならこれからもサイリウムを照らせればと思う。


長いこといろいろなオタクをやっているけれど、好きなものをほかの誰かにすすめるってすごく体力がいることで。
本とか音楽なら気軽にできるけど、アイドルや役者さんをはじめとする、家から出て時間をとってお金を遣うものって特に。
だからあまりひとにものをオススメすることはなかった。
あったことはあったけど、興味ありそうな友人を誘って、
「でも、私なんかが入ったら本当のファンのひとに悪いから……」
と断られたことがあって、たぶんいろいろなものを諦めた。
本人は本当にそう思ってても、その言葉はわたしにとったらそこまで興味がないからのお断りにしか思えなかった。
だから、というわけじゃないけど。
すごく勇気が必要だった。
2月10日のバレンタインイベントを観て。
4人になってもパワーを発し続ける彼女たちが誇らしかったから。
2月11日にぜひにと誘った。
みんな即答してくれたね。
ありがとう。
たぶんそれだけでよかった。
その気持ちだけでよかった。
4月15日以降、断られるかも、とも思ってて。
わたしとしては踏み台にでもなんにでもしてくれてよかったけど、気持ち的にそうならないのなら仕方はないし。
でも当日、4人でピンクを纏って東京ドームで揃って。
本当によかった。
間違いなく、あなたたちと観れてよかったよ。


推しは永遠ではない。
ひともファンも永遠じゃないのだから当たり前で。
それでも、その存在を、いまこの一瞬を永遠だと思わせてくれるのがアイドルなんだと実感している。
観るまではなにもわからないし観ても自分の望んだ答えじゃないかもしれない。
でも、何人もの緑推しが生き返ったように。
関ジャニ∞も、そのステージでいろいろなものを吹き飛ばしてほしい。
その日に墓標を求めていたひとたちを甦らせてほしいと願うのは、たぶん彼らがアイドルだからで。
いまはそのための日々だと思う。


村上さんのパスポートに出入国スタンプ増えまくったスケジュールにはめちゃくちゃ動揺するけど。
無理はしないでね、と思う反面生き生きと仕事をしている姿にはとても励まされる。
どのアイドルにも言えることだけど、もしかしたら彼ら彼女らでなくてもよかったかもしれない席を、譲らずに前を向けるその姿が美しい。


きょうはあーりんのソロコンサートです。
偶然が重なって奇跡になって、必然になった。
あの空へ向かって、を作詞していない唯一のメンバーになったけど、あなたがその歌に、あなたなりの答えを乗せていると感じています。
あーりんはあーりんだよ。
無神経と気遣いとがさつとコンプレックスと優しさと力強さをおんなじ箱に入れた世界で一番素敵な女の子。
あなたが、アイドルを選び続けてくれたことを誇らしく思います。
あーりんがいてくれたからわたしの世界は、宇宙はどこまでも拡がっていく。
巡り巡って、大事なともだちができて。
わたしの大事な女の子たちを素敵だって言ってくれる、わたしが大事なものをおなじように大事にしてくれる、わたしにとってもったいないくらいのともだち。
ありがとう。
ありきたりな言葉にしかならないけれど。
これからもこの心を抱えて生きて行くと思う。
いつまでも。

号泣する準備はできていた

できてねーよばーーーーーーーーーーーーーか!!!!!!!!!!!

というわけでももいろクローバーZさん10周年おめでとうございます🎊🎊🎊🎊🎊
一口に10年と言っても一瞬でも永遠でもあったんだろうなあと思うなど。
ここ数ヶ月でもいろんなことあったからね!
大変だったよね!
まだまだ大変だよね!
でも、それを楽しんでいる自分がいます。
いまからまた10年、と思っても本当にどうなるかわからなくて、それがアイドルの魅力だとしみじみ実感してる。
それでも永遠の、まだ見ぬ果てを目指してゆく姿は本当に、生きていく力になる。

5年前、ももクロちゃんの現場に行きはじめて。
5年前の今日、はじめて東京に遠征した。
24時間Ustream大賞のライブ。
最近は知りませんけど当時ネット配信なんてまだまだ認知度も低いなか、
休憩や学校があってもほぼほぼ24時間ずっと本人たちが映され続けていたイベント。
最後の最後、25時間目の1時間でしたライブが運命を変えたのだから、本当にわからないね。
紅白直後なのに1,500人のキャパシティーでやってたんだね。
本当におかしなグループだ。
未来を夢見ることはいまだに苦手だけど、それでも次の、来年のももクロちゃんを楽しみにして生きているなあと改めて思いました。

これからもそうでありたいなあ、と思うし、
わたしが離れたとしても、ももクロちゃん自身はその未来を創っていってほしいなって思う。
身勝手だけど。
正直、わたしが知ったももクロは5人だし、いまだにふとした瞬間に傷は軋む。
それでも、いまのももクロを見るとすべて吹き飛ぶしまた、4人だから見れる未来を夢見る。
その強さを与えてくれたのは間違いなくアイドル自身なんだな、ももクロ自身なんだなって思う。
過去を振り返りながらも、現在を楽しんで未来を描くことは悪ではない。
すべて、並立できることだと、教えてくれた。

日付越えてしみじみとしながら眠りについて、まさか出勤途中で17日やんけって泣くと思ってなかったから!
そういうことです。
ありがとう。
ありがとう。
おめでとう。

ひとすじに、ぼくたちは歩いていこう

どうも~~!!!!!!!!
今年入ってから推しグループ両方からメンバーが抜けるオタクです!!!!!!!(自分で傷を抉っていくスタイル)
酒でも飲まないとやってられませんよ。


4月15日。
起きたらめちゃくちゃ不穏なTLで、どうしていいかわからないままそのときを迎えた。
やっぱりお知らせのページは繋がらなくて、続々と、流れてくるツイートでそれを知ることとなる。
みんな言ってるけど、最悪の想定が現実になってしまった。
関ジャニ∞を通じて知り合った友人は、世界が壊れたと、泣きながら言っていた。
うまいなあと、どこか他人事のように思う。
たしかに、世界が壊れた。
関ジャニ∞が、七人で居続けるという未来のある世界が、あの瞬間に崩壊した。
サイトの全文を読み終わっても、わたしはどうしようもなかった。
泣きながら、ただひとつのことに頭を支配されていた。
そうか、関ジャニ∞もか。
頭にあったのは、たぶんそれだけ。
だって、わたし、三ヶ月前にもうひとつの世界の崩壊を目の当たりにしたばかりだもん。
1月15日、本当に、本当にちょうど三ヶ月前の冬の日。
わたしが信じ続けてきた、少女たちの世界が終わったばかりだった。
永遠が儚い夢だとわかった日からたったそれだけで、もうひとつの永遠がそれも夢だと思い知らされただけだった。
まさか、なんで、いやだ。
会見を見て、そんな言葉が出てくる前にあまりの完璧さにうちのめされた。
いまでもうなだれている。
サイトの文章も、会見で伝わってくる様子も、すべて、新規のわたしにすらわかるくらい完璧な関ジャニ∞の七人だった。
六人とひとりになる。
そんなこと微塵も感じさせないくせに、それをわたしたちに突きつけてきた。
あまりにもあの日に似通いすぎていて、何度も何度も確認した。
でも確認すればするほどドッキリでなくて、悪い夢でもなくてひたすらに現実だと思い知らされる。
全くもって一緒で逆に笑えてくる。
わたしは一人ぼっちの部屋で、その二組のことを重ねながら、どうしようもないことだけわかった。

いわゆる兼オタの性かもしれないけれど、好きなグループ同士関連性を見いだすため、重ね合わせることがあった。
彼女たちは嵐を、SMAPを目指していると公言していたし、関ジャニ∞とは人数も違う。
(ただ、昨年のインタビューでマネージャーはジャニーズを目指してる、と言っていた。SMAP解散に則したのか、それとも四人になることを見越していたのかはわからない。)
関ジャニ∞のファンは、ハロプロの兼オタが多いように見える。
けれど、ヒャダインこと前山田健一さんが以前語っていたカウンターカルチャーアイドルとしての視点では、精神性の近しいアイドルグループだと思っている。
あんまり好きな言葉ではないけれど。
以前のつんく♂さんの言葉をお借りすれば、彼女たちは道路本筋に対して路肩を爆走しているらしい。
いわば隙間産業。
それでもひたむきに笑って、無茶なことをやって、無理とも思える頂を目指していた。
そんな彼女たちが好きだったし、そのまま、5人のまま走っていってほしかった。
これは関ジャニ∞にも言える。
それにしても、あまりにも似通いすぎて。
インパクト勝負の変な衣装とか、一時期両グループファンで対立の原因になった戦隊モチーフとか、赤が絶対的なセンターだとか。
おちゃらけたグループのように見せかけてのひたむきさだとか。
両方、メジャーデビューから間もない頃、一人脱退しているとか。(彼、は不可抗力だとしても)
そして、今回。
年数は違えど節目の記念を前に、立場はまた違うけど歌唱の要と言われているメンバーがいなくなることだとか。
先に抜けた二人はそれぞれ、同じ事務所で違う形で活躍しているというのに、今年に入って抜ける二人は、いままでとまったく違う世界に飛び立ってしまう。
そんな符丁、重ならなくてよかったのに。


わたしは去年からファンになったばかりの、新規だ。
ジャニーズを明確に推そうと思ったのも初めて。
それでも、幼いころはジュニアの番組を観ていたし、嵐のあのデビュー会見をテレビで見た記憶はある。
曲がりなりに女子なのでそこまで興味はなくてもクラスメイトと仁亀論争をしたし、高校時代の友人には手越担もいた。
そういう具合に、なんとなくふわっとふれあう距離でジャニーズと接していた。
その中で、関ジャニ∞というのは、地方のど田舎出身ということもあってよくわからない存在だった。
友人に関ジャニ∞をかんじゃにえいと、と読むことを教えてもらった程度しかない。
それなのにふと見た映像も画像も、彼、渋谷すばるがずっと真ん中にいたように思う。
とても強烈な印象として残っている。
沼に飛び込んだいまでも、渋谷すばる関ジャニ∞の核だと信じて疑わなかった。
本人が望む望まないに関わらず、それほど彼は鮮烈だった。
当然、過去の渋谷さんはわからないし、荒れていた彼を知らないので語る言葉を持たない。
けれど、ここ最近の渋谷さんを表する言葉が「アイドル」というキーワードだとはあまりにも皮肉すぎる。
伝聞でしかないけれど、自己の在り方と、アイドルでなければならないという葛藤が存在していた時期もあったのだろうと思う。
それでも、彼はアイドルとしてステージに立っていた。
立ち続けた。
最近の様子に、彼のなかで対立していたものが融け合ったのだと、終着点を見つけたのだと、一方的に安心していた。(これ、彼女のときも言ってたなあ。)
かつて聞こえていた、危うげな彼から脱皮して始まるのだと。
でもその羽化は、ファンが望んでなかった形だった。
アイドルオタクとして言うけれど、アーティストとアイドルの優劣をつけるかのような言葉、アイドルらしからぬ、や、アイドルを越えた、という表現は好きではない。
所詮、アーティストもアイドルもカテゴライズでしかない。
その思いで、アーティスティックなアイドルがいてもいいじゃないか、と思っている。
アイドルって言葉は、渋谷すばるの在り様ですら包む言葉だと信じている。
でも、彼が選んだのは、そういうことではなかった。
彼は、これからの人生をひとりで歩むことを決めてしまった。
あまりに完璧な口上に、その在り方に、なにも言えない。
なんでもどうしても、彼と、メンバーに封じられてしまった。
それくらい、みんなが、渋谷すばるが、関ジャニ∞を愛してることが伝わってきた。
言わせてほしかった。
文句も恨み言も、言いながら泣きたかった。
それなのにただただ、どうしようもない思いで静かに泣いた。
いまも泣いている。

おそらく、渋谷さんは彼の人生を、音楽を関ジャニ∞に背負わせたくなかったのだなあと思う。
グループは、よくも悪くも運命共同体だから。
最高も最悪も共有していく。
渋谷さんがこうしたいと一言言えば、他のメンバーは叶えるために全力を尽くすだろう。
それを指標としただろう。
いままでのように。
事務所だって、レコード会社だってその道を模索するだろう。
けれど、それを選ばなかった。
もちろん、アイドル事務所で、自主レーベルだからいろいろな整備不足やしがらみ、意思決定までの遅さを疎んだ側面もあっただろうけど、それよりも、途方もない夢への道連れに、運命共同体だったはずのメンバーを付き合わせないことを選んだ。
しがらみを切り捨てた。
いままで通り、わがままを貫き通してくれればよかったのに。
でも、関ジャニ∞はアイドルで、それぞれがそれぞれの道をひとりひとりの形で見つけ始めた中で、きっとそれはあまりにも重荷で、それ以上の負担だと思ってしまったのかな。
なにをするにしても、グループとしての取捨選択としてきたものは、いままではだれかの可能性を生み出してきたことだったと捉えられるけれど、それはまた別の可能性は殺してきたことに気づいてしまったのかな。
そんなこと、愛してなければできない。
あまりにも愛にあふれてなければ、選ばないことだと、考えてしまった。

それにしてもこんなときなのに、渋谷さんに感謝したくなっている。
彼女、の選択もそうだったのかもしれないと、いまさらになって思う。
三ヶ月納得できなかった、彼女のリタイア。
グループはどうしても個人の一意見でもそれが意思決定として、方向性として決まってしまえばみんな同じ方向を向くしかない。
個人のわがままを、グループに背負わせることになる。
彼女も、なにを内包していたかはあれ以上わからないけれど、好きだったからこそグループに言うことにしたのは、たったひとつのわがままだったのかもしれない。
そう思えるようになった。

youtu.be

唐突に推しの宣伝ですけど。
彼女がソロコンでこの曲を選んだことで、わたしは当日、化粧がすべて消え去るくらい泣いた。
『生まれた朝に 手渡されてた
 ずいぶん不公平な旅行カバン』
この、「青春賦」の歌い始めは、いささか重苦しく始まる。
なにを意味していたかはわからないけれど、この歌詞を手話という表現で歌ったあと、「なにもない自分」と言った推しに涙した日を思い出した。
逃げるように辿った先でまた追い詰められた。
渋谷さんからしたら、ばちりと填まってしまったセンター性も、耳目を集めてしまうカリスマも、類まれなるセンスも、その美貌も、ともすればその歌声だって、行く道においての不公平な旅行カバンだったのかもしれない。
わからないけれど。
でも、光る荷物を増やしてきたいままでを抱えて、ただひとりで歩むことを決めてしまった。

あの日、あの冬の一週間。
たぶん、エイターさんの中にも彼女の卒業に嫌だと泣き叫ぶファンを一笑に付したひとがいると思う。
仕方ないのだからと言い切ったひとがいると思う。
喧嘩を売るわけではないけれど、なんで高みの見物できたんだろう。
仕方ないとわかっていても、どうしようもなくても、ただ嫌だった。
同じように本人たちによって、信じていたものが打ち破られたんだ。
もちろん、わたしにだって一度世界が壊れたくせに、この世界は、関ジャニ∞は大丈夫という慢心はあった。
でも、絶対なんかない。
なかった。
わたしはあの日知ってしまった。
だから、そうか、しか出てこない。
だから、頭ではいろいろ考えても言葉を探しても、心はどこか、これを納める場所を知っている。
そして、いま、どうしようもないことだけ知っている。
どんなに泣いても叫んでも、文句を言っても過去を恨んでも、希望をかき集めようとしても、絶望にうちひしがれても、刻一刻と時間は過ぎていく。
働いている間にすら、こんなブログ書いている間にすら。
七人の関ジャニ∞は過去になっていく。
また、夜が明けないでほしいと、次の日にならないでほしいと、願う日が来るなんて思ってはなかったよ。


そのくせ、心は悲しみのわりに凪いでいる。
だって、本当にどうしようもない。
答えを急いでもなにが正解かなんて、わからなくて、これからどうなるのかなんてもっとわからない。
時間が解決してくれるなんて、だれかは言うかもしれないけれど、そういう問題じゃない。
いつまでも傷は残るしふと思い出して引き攣れる。
癒えたように見えても、忘れたように思えても決して消えるわけじゃない。
ただ、答えは出る。
六人で歩み始める関ジャニ∞を目の当たりにしたら、それがどんなものでも、ファンそれぞれ、ひとりひとりの答えがいつか出てしまうだろう。
六人の関ジャニ∞を見たら、自ずとそこにまた新しい感情が生まれてしまう。
むしろ、そこからはじまってしまう。
納得して前を向けるのか、さらに煩悶するのか、地獄に行くのか。
それがわからない。
だから明日が来るのがこわい。
でもそれ以上に見てしまいたいと思う。
不完全でも不恰好でも、完璧な、六人の関ジャニ∞としての答えを。
そうしなければ、わたしは決着がつかない。

あの、仕事で行けなかった1月21日。
アンコールは彼女を抜かした四人だった。
そうして歌ったすべてのはじまり「あの空へ向かって」。
現場にいてもいなくても、強制的に新しいはじまりを見せられた。
理解させられた。
あれは、残酷だけど、正しかったと思う。
前を向いている。
その言葉に嘘はなかった。
2月10日のバレンタインイベントに至っては、メンバーの名前入りのメジャーデビュー曲が出落ちのネタ曲になって、感傷に浸る術すら奪われた。
笑うしかなかった。
でもそれに救われた。
一番最初に彼女のパートを継いだのも、ネタ曲になった理由も、わたしの推しだ。
彼女の強さで、彼女たちの強さで救われた。
振付も歌割もガラリと変わった苦労をおくびに出さない彼女たちの笑顔をひたすらに追いかけたいと、心が決まった。

たぶん、ツアーを六人でと決めた彼らも、そうして前を向いた姿を見せてくれるために、そう決めたのだと思いたい。
それまで感情は振り切れるし躁と鬱とを繰り返すだろう。
それからも、もしかして、という不安と戦うことになるだろう。
彼女たちに関しても同じだから。
いまでも、このまま周年終わったら燃え尽きるんじゃないかか、まただれか抜けるんじゃないか、なんだったらいつか解散してしまうんじゃないかと過る。
でもテレビに写るたび、現場に行くたびそんなことは吹き飛ぶ。
傷ついてもなお美しい少女たちを、いつまでも見続けるんだと夢を見る。
関ジャニ∞も、そんな風に圧倒してくれることを、願っている。
反吐が出る。
アイドルは夢を見させる職業だと。
簡単に言ってくれるけど、見せる方も見る方も本当に大変だ。
でも、そんなパワーがあるからこそ、アイドルだと言いたい。
関ジャニ∞はアイドルで、六人でも夢を見たい。
それがいつか破れる刹那だとしても、八人時代の夢が嘘じゃなかったように、七人の関ジャニ∞が幻想じゃなかったように、六人の未来もいまわたしたちの中にある。
いつかがくるまで、その一瞬は永遠だ。


それでも、あんなにも苦しそうな横山さんを、力なく微笑む丸山さんを、ブスくれている大倉さんを、所在無さげな錦戸さんを、頑なに笑い続ける村上さんを、そして、いっそ清廉なまでにまっすぐな渋谷さんを見たくなんかなかった。
本当に。
たとえ決まりきったことでも、関ジャニ∞を全うしていたからこそ、あの日まで疑いなくいた。
夢を見ていた。
なんと言われても、プロのアイドルだ。
関ジャニ∞はアイドルだ。

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この記事の中にアホみたいな質問があるけれど。
彼女たちのその答えがすべてだと思う。
アイドルだって選んで、その選んだ道を普通として生きている。
そして、選ぶということは、できることもできないことも取捨選択して、可能性を生かして殺すということだ。
アイドルだけでなく、芸能人だけでなく、だれだってやっている。
ただ彼ら彼女らは、ファンだとかスタッフだとか、事務所だとかメンバーだとか、巻き込む規模が大きくてなかなか本人の意志は見えづらくなってしまう。
その中で、自分ひとり立って可能性を切り捨てた渋谷さんは、迷いなく本人の意志で、本当に飛び立ってしまうのだ。
いつか、メンバーがいないと生きていけないと言っていたのに。
村上さんが会見に出た理由だと言っていたのに、口べたな男は淀みなく自分ひとりの選択を晴れやかに話した。
それが、なによりの覚悟だった。

渋谷すばるが自分の人生を選んだように、錦戸亮安田章大丸山隆平村上信五横山裕も、険しい永遠を選んだ。
間違いなく、彼らも彼ら自身で選んだ。
ファンのためという大義名分があっても、その道を選んだのは彼ら自身の意志だ。
アイドルとして夢を見せると、選んだのだ。
一度破れた夢をもう一度見せることがどれほど困難なことか。
渋谷さんも、六人も、安易な道もなあなあな馴れ合いも選ばなかった。
格好いいとしか、言えない。
それなのに悲しくて涙が溢れてくる。


これが過去になることすら許せないこと気持ちもある。
怒りを、悲しみを忘れることを恐れる気持ちもある。
でも、それもいつか風化させるくらい、彼らが幸せになってほしいという気持ちもたしかに、ある。
なにもかも許せない気持ちがあっても、いつか氷解はやってくる。
その日がくるまで、ファンもメンバーも傷ついては振り返ってまた傷ついて、そうして前に進まざるを得ない。
それまでは、多いに悲しんで怒って駄々こねて。
それでいい。

怒られるだろうけど、何度も言う。
大事な、再出発で不安も悲しみも吹き飛ばした女の子たちを知っている。
だから、と言いたい。
だから、彼らもできないはずがないって思ってしまっている。
関ジャニ∞が本当にすごいなあ、と思うのは、六人の再出発をきちんと、自分たちの手で選んだことだ。
感傷に浸る時間を延ばさず、次の最善を考えて一丸になっている。
彼らに託した渋谷すばるも、その選択には一緒にいる。
六人の輪が和になるように、七人で選んだ。
ぽろぽろと溢れるような不安はあるのに、次を見せようとしている。
彼女たちは、そこはまだ、運営主導だった。
でもできたのだから。
わたしはアイドルの強さを信じている。

「新生関ジャニ∞」を見せるまで、それこそがむしゃらに愚直なまでに進むのだろうな。
傷の存在を、欠けた形を、感じさせないためにも。
皮肉にも、同じような筋書きを描いてしまったわたしの大好きな二つのグループは今年、再出発を見せてくれる。
あの日が来るまで、四人の彼女たちを知らなかったように、いま、六人の関ジャニ∞を知る人間はまだいない。
こちらがまた不安になるくらい、いつか折れてしまうんじゃないかと思うくらい、ちょっとくらい休んでもよかったのに、と言いたくなるくらい、大きな決断。
それでも、走り続けると決めてくれた。
一年だけ彼を引き留めて、周年をやりきって解散って道があったというのにそれはしなかった。
さらにその先の光景を関ジャニ∞として見せようとしてくれている。
決めたのは本人たちで、ファンはそれを信じる存在でしかない。
傷ついて混乱しても、その未来を見ていきたいと思う、素敵なグループに出会えてよかった。


アイドルは所詮、ブラックボックスだ。
関ジャニ∞のように、いくら開けて見えても、提供された情景を楽しむ箱庭でしかない。
それを痛感している。
あの会見の村上さんは、それはもう完璧に、世間が知っている関ジャニ∞村上信五だった。
痛々しいほどに全うする彼は、渋谷さんだけが知る村上信五を箱に入れて宇宙に解き放つ準備をしてしまったように思う。
ときどきファンに垣間見せてくれたそれを、見ることはもう叶わない。
松原.だけでなく、横すばも丸すばもやすばも気まずいも、倉すばも、渋谷すばると繋がっていた関係の先を直接見ることはもうできない。
ブラックボックスに仕舞い込まれてしまう。
それも、ひたすらに残念だ。
だからと言ってそれは責めない。
見えなくなるだけで、過去は嘘でなかったし、これからもきっとこの宇宙どこかに存在している。
ただただ、いままでと同じように、今ある情景が永遠だと夢見させてほしい。
これからも見せてくれる未来を、笑ってくれる世界を信じて、関ジャニ∞ももいろクローバーZも愛していきたい。



追伸

有安杏果と、同じことを言おう。
彼に夢を見る限り、わたしにとって渋谷すばるも、アイドルだ。
ずっとずっと。

アイドルだったあなたへ

たいへんなことがおきてしまいましたね。
まさか推しと自担と自分のマインドのこと以外でブログを書くとは。
これは単なる備忘録ですのでいやな予感がする方はバックプリーズ。
オススメブログ貼るんでこっちでもどうぞ。
どのブログも主観に基づくもので、公開した責任はあれど他者から詰れるいわれはないと思います。

hisayonara.hatenablog.com

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最後の杏果推しのはわたしにはない視点でわたしの好きだった杏果推しの気持ち悪さが詰め込まれてる。やばい。
この発言からわかっていただきたいが基本的に緑推しには辛辣なのでご注意をば。




さて、では。
1月15日12時。玉井詩織出演のサムライロックオーケストラのステージを一般先着でとれたことがうれしくて(黄推し石投げないでね)ルンルンでツイッターを開くと、
そこではもっと衝撃的なことが待っていた。

混乱しかなかったけれど、なんで、のあとに出てきたのはふざけんなだった。
乱暴で申し訳ない。
大半のモノノフがそこに行き着いてしまったように見受けられた。
特に緑推し以外。

これには、まず「5人」を強固に信じていた背景があると思う。
ももクロはたびたび口に出すように、固定のメンバーで息の長いグループを目指している。いた。
バカだなあ、と思うかもしれないけれど、メンバーが言うならば、と信じていたファンが多かった。
盲目的に信仰していた部分もあっただろう。
気持ち悪い?知ってるよ。
アイドルって偶像って意味なんだからいまさらだ。

さらに、ももクロ自体のイメージの問題もあった。
ももクロファン以外に言われたことがあるが、
「あんな普通の女の子たちじゃん?」
これに尽きる。
天真爛漫でどこにでもいそうな女の子たちがひたむきに頑張る姿に胸を打たれ、ファンになったという話もよく聞く。

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わたしのももクロに対するイメージはこれだった。
反面、それは幻想であることもわかっていた。
何万人の前に立つ少女たちが普通であることなどないとわかっていた。
これは設定であり、ファンタジーであり、幻想だとはわかっていた。
そういう、信仰と現実の間をわかった上で彼女たちをヒロインとして推していた。
それぞれ意見はあるだろうが、こういった類のある意味でももクロ神話というものを共有し、それに安心しきっていたように思う。
それが打ち砕かれたのだ。


「普通の女の子になりたい」
有安杏果はそう言った。生放送で、臆面もなく。
じゃあ隣にいる4人は普通の女の子ではないのだろうか。
普通の、ありふれた女の子たちだと信じていた。
それを信じたかったのだ。
そんなわけがなくても、信じていたのだ。
外野から見たらそれが気持ち悪い信仰だとわかる。
でも、宗教にとどまらず、生きる上で信じているものがなにもない人間はいない。
その信じていたもののひとつだと、理解してほしい。
それが本人から破られたのだから、反動で「ふざけるな」「裏切られた」「嫌いになってしまいたい」そういうネガティブな思考が目立ってしまった。
恐ろしいかもしれないけれど、そういう心理だったように思う。

特に女性として、「普通の女の子」にもひっかかった。
言うほど、普通は普通でない。
世間一般に言う、普通の女の子たちも、それぞれに傷ついて悩んで迷って、日々に追われて生きている。
それなのに、普通が楽しくてうらやましくて仕方がないという風に笑う。
ももクロでは普通は得られないから、卒業したい。
そういう印象を与える言葉選びだと思った。
本当にコメントが下手だな、知ってたけど。
そういうところも有安らしいけど。

実際には、芸暦22年という、生まれたときから芸能界で過ごしてきた彼女は、スケジュールを母親や事務所に管理されているのは当たり前だった。
もし友人とどこかに行きたいと話しても、それがかなわないこともあっただろう。
子供だった時分はよくても、大人になって自由意志と権限が確立されたのちにその状態では、窮屈だろうというのもわかる。
それの折り合いがきちんとついていると思っていた。
安心しきっていた自分はなんだったのだろう。
生放送で満面の笑みの彼女と、笑顔の裏の動揺を隠し切れない4人を見て、そう思った。
普通を知らない彼女は、普通に憧れてしまった。
たいしていいものじゃないよ、と言いたいけれど、知らないのだから仕方ない。仕方がない。
仕方ないと言うしかないじゃないか、ばか。


一部からは、「やっぱり」という声も聞こえる。
わたしもショックだったけれど、どこかわかっていたように思う。
2016年からしていたソロ活動。
ときどき、ももクロの活動よりソロのほうが楽しそうに見受けられた。
メンバーといるのが映っても、スイッチがOFFの状態も多くなっていた。
関西テレビ冠番組である、桃色つるべはひどかった。
釣瓶さんの隣で、笑顔も浮かべず真顔の有安。
レギュラーなのに、とわたしも思った。
だんだんと不安が増して、ソロで楽しそうな緑推しをよそに「このままで大丈夫なのか」ということを話すことも増えた。
ももクロの方を向いていない、そういう違和感は確実にあった。
その爆発は案外大きかった。
みんな不安だったね。
それでも、彼女の言葉を信じて、他のメンバーを信じて、続いていくと思っていたのだ。

杏果は、音楽が好きだった。
彼女の歌がうまくいかなければ、そのあとメンタルをぐずらせることもあった。
ガンコな、完璧主義的な一面だったように思う。
緑推しを中心に「杏果が一番の努力家」「一番ファン思い」などということをよく言っていた。
この言説が反吐が出るくらい嫌いだ。
努力に一番もなにもないだろうし、ファン思いの形もメンバーそれぞれで示してくれていると思っていたからだ。
わたしは推しであるあーりん最大のファンサービスは、わかりやすいレスや認知ではなく、ステージで完璧にあーりんを魅せてくれることだと思っているから。
それが杏果を追い詰めるのではないかと、知り合いの緑推しと口論したこともあった。
そういう、盲目的な言葉になにを思っていたかは知らないが、杏果は並外れてファンに献身的であったようにも見える。
ファンの理想である自分を演じることに完璧さを課しているように思えた時期もあった。
だから、この「一番」というまるで比較する言葉が嫌いだ。
杏果なりの最大限の努力と、献身を汚されたように思うから。

わたしは有安杏果を「現代的アイドル」と評したことがある。
明らかにももクロの中で異質で、特異点に思えて仕方がなかった。
ももクロも現代のアイドルではあるが、自分の推しメンをなんとかして推し上げる、AKBイズムに通ずるものをとりわけ緑推しから感じている。
緑推しはなにかと比較して、必死でももクロの中の有安杏果を確立しようとしていたように見えた。
それが偶像や理想であれ、その熱意はすごかった。
そして実際、切磋琢磨され、歌にこだわる杏果につられるように飛躍的に歌唱力も伸びた。
それは間違いなく事実だ。
本人はももクロのノリが苦手とこぼすこともあった。
でも自分なりの居場所を見つけたとも。
大所帯のグループなら、気の合う者同士つるめばいいから、こんな話もなかっただろう。
米子の夜などなければよかった。
それで、ももクロ神話が強化されてしまったようにもいまさらながら思う。
あるいはハロプロならば、持ちうるスキルを伸ばすことに邁進して自由にのびのびできたかもしれない。
でもももクロは2011年からは5人しかいなかったし、アイドルは総合芸術だと、とりわけトークやバラエティなど、苦手なことにも立ち向かわないといけなかった。

現実の有安杏果、ファンの理想の有安杏果有安杏果自身の目標、ももクロの活動。
アンバランスに見えても、裏側まではわからないけれども、きちんと調和していたと信じていた。
信じていた、ばかりだが、結局オタクというものはそういうことだ。
しみじみ、アイドルとは夢を見せる偶像で、オタクとはその夢を信じる生物なのだと思っている。


杏果は完璧でない自分は嫌だったのかもしれないけれど、ガンコで、意地っ張りで見栄っ張りでときどき自分本位ともとれる人間くささがわたしは魅力のひとつだったと思う。
だからやりたくない仕事の「できない」という割り切りは潔いともとっていた。
がんばることも無理にしなくてよかった。
がんばりたいのならひとつひとつでよかった。
確実にプラスに向かっていた面もあった。
それを全部、一気に完璧にしようとしたツケの反動のようにも思える。

わたしはやっぱり有安杏果にふざけるなとは思っているけれど、嫌いにはなれない。
ばかだなあ、とは思う。
いろいろ空回ってしまって休みたくなったのだとも。
だから、杏果は責めない。
いままでおつかれさまとありがとうを21日に言えるように、と思えるようになった。


それよりも新章が始まるももクロの4人のほうが心配だ。
いくら言葉を尽くそうとも、仲間のリタイヤに憔悴が見える。
普通の女の子だったはずの彼女たちは、これから傷だらけで再度立ち上がって戦わなければならない。
ネット上をはじめ、心無い憶測や風評も多々ある。
一応情報を扱う会社に所属しているけれど、上司がありふれた不仲説をニヤニヤしながら聞いてきた。
どこにでもいるんだ、そういうゴシップ好きな下世話なやつ。
「この会社にお勤めなのにネットのクソ情報信じるなんてpgr」
と、あまりにもネット擦れした反応をしてしまったが、それくらい荒唐無稽なものを信じる人間も増えるだろう。
けれどいままで通りひたむきに、美しい戦士の姿を見せていけばいいと思う。
わたしはそれを見守りたい。

一部が書き連ねている、ももクロ復帰願望をわたしは望まない。
あまりにも残酷なストーリーだ。
いまからすべての曲の振りと歌割を4人に直して、これからも4人の歌を増やしていく。
心身ともに、どれほどの負担なのだろう。
その後でやっぱり戻ります、はあまりにも覚悟がブレすぎて卒業以上にわたしは受け入れられない。
だから、ももクロに戻りたいと思わないことを祈っている。
だれかが書いていた、
「これから4人はももクロを続けてよかったと思ってほしいし、杏果はももクロをやめてよかったと思ってほしい」
お互いにそういう人生を歩んでくれればと、願う。

音楽活動は続けていくやも、ということなのでソロとして復活はあるかもしれない。
それも結局芸能界に戻ってくるのか、と少しモヤモヤはする。
けれど、そんなモヤモヤや卒業時のふざけるなという思いを超えるような楽曲を作ってくれることを望んでいる。
結局、わたしは有安に夢を見る。
有安杏果はアイドルだったのだ。


「これからもずっとずっと、みんなに嫌なことがあっても、私たちを観て、ずっと笑っててほしいです」
いつでもこの百田夏菜子の言葉はわたしの心を照らしてくれる。
ときどき感傷的になるかもしれないけれど、これからもももクロを見て大いに笑いたい。
そして、彼女たちが迷うことがあっても、お返しとしてわずかばかりのサイリウムを照らす存在でありたい。

21日は仕事で行けないけれど、来月のバレンタインイベントで初めて4人のももクロを見れることを嬉しく思う。
ももいろクローバーZの5人それぞれに、幸多からんことを。

愛は心臓の真中にあり

めり~~ヨコヒナ入所記念日~~!!!!!!

いえーーーーーーーーーい!!!みんな元気かい!?!?!?

冬ですね!寒いですね!
みなさまいかがお過ごしでしょうか。

村上信五さんを好きになって一年未満、
情報として知っていても改めてクリスマスがアイドルとしてのスタートラインってそれどんな二次元?
きらきらしすぎじゃない?大丈夫?怒られない?
怒られなーい!!!!
すごい!!!!!!!!


まあこんなめでたい日にブログ書いておりますが、
ヨコヒナを語るわけではありません。
しょせんド新規で概念を理解しきれていませんのでしかるべき方々のものを拝読します。

godz11a4rin.hatenablog.com

覚えてらっしゃる方もいるかと思いますが、
約四ヶ月前にこのテンションだだ下がりのブログを書きました。
わたしが書きなぐったときに考えていたよりたくさんの方に見ていただいたようで、お目汚し大変申し訳なく思っております。
おそらく、たくさんの方が潜在的に持っていた傷を抉ってしまった結果になりました。
匿名ブログ?というのをのちに知り、そちらで書き捨てればよかったなあとも思いましたが、公開してしまったものは下げるのもどうかと思い、
自戒を込めて残してあります。
コメントもすべて目を通しました。
返信の仕方が結局わからなかったため、ずぼらで申し訳ありませんが、この場でまとめてお詫びとお礼を申し上げます。
大変心強いお言葉ばかりで、とても励まされました。
改めてみなさま、読んでいただきありがとうございます。


さて、顛末ですが大したこともなく。
バラエティーの村上さんが好きな彼女と、コンサートでアイドルの村上さんを見たかったわたしの思想が違っただけのお話です。
それだけなのにとても稚拙な傷つき方をして、いろんな人に迷惑かけたなあと思います。
もっと行く前に理解を深めていたら、とも考えますがいまさらなので。
大事な友人だったから辛かったし、伝えれなかったし、割りきれなかった。わたしの幼さです。
ただひとつだけ。

うるせえええええええええええばーーーーーーーーーーーーーーーーか!!!!!!!!
いつ!わたしが!バラエティーの村上信五を好きだと言った!
いや好きだ!好きだよー!大好きだよ!!!!
わたしが!大阪在住のわたしが!わざわざ東京ドームまで行ったのは!
ア!イ!ド!ル!のコンサート観に行ったんですよねーー!!!!!
お笑い芸人でも観に行ったつもりだった!?
アイドル村上信五さんの所属する関ジャニ∞というア!イ!ド!ル!観に行ったんですよ!!!!!!

声を大にして言いたいですね。実際に彼女にはもうちょいマイルドにして伝えましたが。
バラエティーで活躍する村上さんはとても誇らしいですがわたしは現場で見る彼にマルチタレント性は求めてないです。
その思想の違いってめちゃくちゃ根深いですね。
バカにした笑いではないことも、彼女なりに村上さんを好きでいてくれてることもわかっていますが、ここを履き違えたら戦争ですね。
仕方がない。
悲しいけれど。



さてはて。
朝六時にシャワー浴びながら泣いて(また泣いてる)腹くくったことで、ようやくわたしはこの傷を愛してあげれるのだと落ち着きました。
定期的にかきむしってた傷口にようやく包帯を巻いています。
それまでツイッターでめちゃくちゃ愚痴ってて鬱だったなあと自分でも思います。ていうか前のエントリーもめちゃくちゃ病んでて今見たら笑えるね。
先日、12月20日にももいろクリスマス2017~Electric Wonderland~大阪城ホール公演を見ていろいろなものが剥がれ落ちました。
本当は関ジャニ∞のカテゴリは関ジャニ∞で消化したかったけれど、うまくいかなかったので。
でも思い出深い大阪城ホールであんなにいいライブを見れたことで落ち着くべきところに落ち着きました。
人とは距離を置くことになりましたが、これでよかったなあと思います。
ももクロは健康にいいぞ!!!!!(科学を無視したダイマ)

そういえば、記念すべきif or…Ⅹに参加できることになりました。
わー!ぱちぱちぱち!村上さんに会えるぞー!
ありがたいことに一緒に行こうと言ってくれる新しい友人もできました。
考えたら、このツイッターアカウント自体村上さんを好きになってから始めたのでその短い期間でいろんな人とお近づきになれたな、と感慨深いです。
ももクロの現場では友達ずっといなくてぼっち参戦極めすぎて知人のオッサンたちから心配されていたわたしがですよ!
めちゃくちゃめんどくさいドルオタなのでもしかしたらめんどくせえと思いつつ付き合ってくれてるのかもしれないけど、それでも、あなたたちに、あなたに伝えたいです。
ありがとう。大好きです。

いろいろ反省はあれどひとつだけの後悔は、あの子に感謝を少ししか伝えていなかったことですね。思い出はたくさんあります。
それでも縁があればまた、いつか、どこかで。(またもいつかもどこかもあるか知りませんが)



つらつら書きましたが、自分なりに決着をつけれただけの記事です。
今宵は聖夜ですから。お目こぼしいただければと願います。
それでは、フォロワーのみなさま。友人たち。道を違えることになってしまった彼女。そして、読んでくださったあなたと、なにより愛すべきアイドルたち。すべてに幸福が降り注ぎますように。
愛してるぜ!世界!!!!!


PS
タイトルはももクロちゃんのクリスマス限定のシングルの歌詞で、阿久悠さん作詞の素晴らしい曲です。
機会があればぜひ聴いてみてください。(ダイマ再び)
それでは。