百億の月

いま小さく脈打つメロディー

ひとすじに、ぼくたちは歩いていこう

どうも~~!!!!!!!!
今年入ってから推しグループ両方からメンバーが抜けるオタクです!!!!!!!(自分で傷を抉っていくスタイル)
酒でも飲まないとやってられませんよ。


4月15日。
起きたらめちゃくちゃ不穏なTLで、どうしていいかわからないままそのときを迎えた。
やっぱりお知らせのページは繋がらなくて、続々と、流れてくるツイートでそれを知ることとなる。
みんな言ってるけど、最悪の想定が現実になってしまった。
関ジャニ∞を通じて知り合った友人は、世界が壊れたと、泣きながら言っていた。
うまいなあと、どこか他人事のように思う。
たしかに、世界が壊れた。
関ジャニ∞が、七人で居続けるという未来のある世界が、あの瞬間に崩壊した。
サイトの全文を読み終わっても、わたしはどうしようもなかった。
泣きながら、ただひとつのことに頭を支配されていた。
そうか、関ジャニ∞もか。
頭にあったのは、たぶんそれだけ。
だって、わたし、三ヶ月前にもうひとつの世界の崩壊を目の当たりにしたばかりだもん。
1月15日、本当に、本当にちょうど三ヶ月前の冬の日。
わたしが信じ続けてきた、少女たちの世界が終わったばかりだった。
永遠が儚い夢だとわかった日からたったそれだけで、もうひとつの永遠がそれも夢だと思い知らされただけだった。
まさか、なんで、いやだ。
会見を見て、そんな言葉が出てくる前にあまりの完璧さにうちのめされた。
いまでもうなだれている。
サイトの文章も、会見で伝わってくる様子も、すべて、新規のわたしにすらわかるくらい完璧な関ジャニ∞の七人だった。
六人とひとりになる。
そんなこと微塵も感じさせないくせに、それをわたしたちに突きつけてきた。
あまりにもあの日に似通いすぎていて、何度も何度も確認した。
でも確認すればするほどドッキリでなくて、悪い夢でもなくてひたすらに現実だと思い知らされる。
全くもって一緒で逆に笑えてくる。
わたしは一人ぼっちの部屋で、その二組のことを重ねながら、どうしようもないことだけわかった。

いわゆる兼オタの性かもしれないけれど、好きなグループ同士関連性を見いだすため、重ね合わせることがあった。
彼女たちは嵐を、SMAPを目指していると公言していたし、関ジャニ∞とは人数も違う。
(ただ、昨年のインタビューでマネージャーはジャニーズを目指してる、と言っていた。SMAP解散に則したのか、それとも四人になることを見越していたのかはわからない。)
関ジャニ∞のファンは、ハロプロの兼オタが多いように見える。
けれど、ヒャダインこと前山田健一さんが以前語っていたカウンターカルチャーアイドルとしての視点では、精神性の近しいアイドルグループだと思っている。
あんまり好きな言葉ではないけれど。
以前のつんく♂さんの言葉をお借りすれば、彼女たちは道路本筋に対して路肩を爆走しているらしい。
いわば隙間産業。
それでもひたむきに笑って、無茶なことをやって、無理とも思える頂を目指していた。
そんな彼女たちが好きだったし、そのまま、5人のまま走っていってほしかった。
これは関ジャニ∞にも言える。
それにしても、あまりにも似通いすぎて。
インパクト勝負の変な衣装とか、一時期両グループファンで対立の原因になった戦隊モチーフとか、赤が絶対的なセンターだとか。
おちゃらけたグループのように見せかけてのひたむきさだとか。
両方、メジャーデビューから間もない頃、一人脱退しているとか。(彼、は不可抗力だとしても)
そして、今回。
年数は違えど節目の記念を前に、立場はまた違うけど歌唱の要と言われているメンバーがいなくなることだとか。
先に抜けた二人はそれぞれ、同じ事務所で違う形で活躍しているというのに、今年に入って抜ける二人は、いままでとまったく違う世界に飛び立ってしまう。
そんな符丁、重ならなくてよかったのに。


わたしは去年からファンになったばかりの、新規だ。
ジャニーズを明確に推そうと思ったのも初めて。
それでも、幼いころはジュニアの番組を観ていたし、嵐のあのデビュー会見をテレビで見た記憶はある。
曲がりなりに女子なのでそこまで興味はなくてもクラスメイトと仁亀論争をしたし、高校時代の友人には手越担もいた。
そういう具合に、なんとなくふわっとふれあう距離でジャニーズと接していた。
その中で、関ジャニ∞というのは、地方のど田舎出身ということもあってよくわからない存在だった。
友人に関ジャニ∞をかんじゃにえいと、と読むことを教えてもらった程度しかない。
それなのにふと見た映像も画像も、彼、渋谷すばるがずっと真ん中にいたように思う。
とても強烈な印象として残っている。
沼に飛び込んだいまでも、渋谷すばる関ジャニ∞の核だと信じて疑わなかった。
本人が望む望まないに関わらず、それほど彼は鮮烈だった。
当然、過去の渋谷さんはわからないし、荒れていた彼を知らないので語る言葉を持たない。
けれど、ここ最近の渋谷さんを表する言葉が「アイドル」というキーワードだとはあまりにも皮肉すぎる。
伝聞でしかないけれど、自己の在り方と、アイドルでなければならないという葛藤が存在していた時期もあったのだろうと思う。
それでも、彼はアイドルとしてステージに立っていた。
立ち続けた。
最近の様子に、彼のなかで対立していたものが融け合ったのだと、終着点を見つけたのだと、一方的に安心していた。(これ、彼女のときも言ってたなあ。)
かつて聞こえていた、危うげな彼から脱皮して始まるのだと。
でもその羽化は、ファンが望んでなかった形だった。
アイドルオタクとして言うけれど、アーティストとアイドルの優劣をつけるかのような言葉、アイドルらしからぬ、や、アイドルを越えた、という表現は好きではない。
所詮、アーティストもアイドルもカテゴライズでしかない。
その思いで、アーティスティックなアイドルがいてもいいじゃないか、と思っている。
アイドルって言葉は、渋谷すばるの在り様ですら包む言葉だと信じている。
でも、彼が選んだのは、そういうことではなかった。
彼は、これからの人生をひとりで歩むことを決めてしまった。
あまりに完璧な口上に、その在り方に、なにも言えない。
なんでもどうしても、彼と、メンバーに封じられてしまった。
それくらい、みんなが、渋谷すばるが、関ジャニ∞を愛してることが伝わってきた。
言わせてほしかった。
文句も恨み言も、言いながら泣きたかった。
それなのにただただ、どうしようもない思いで静かに泣いた。
いまも泣いている。

おそらく、渋谷さんは彼の人生を、音楽を関ジャニ∞に背負わせたくなかったのだなあと思う。
グループは、よくも悪くも運命共同体だから。
最高も最悪も共有していく。
渋谷さんがこうしたいと一言言えば、他のメンバーは叶えるために全力を尽くすだろう。
それを指標としただろう。
いままでのように。
事務所だって、レコード会社だってその道を模索するだろう。
けれど、それを選ばなかった。
もちろん、アイドル事務所で、自主レーベルだからいろいろな整備不足やしがらみ、意思決定までの遅さを疎んだ側面もあっただろうけど、それよりも、途方もない夢への道連れに、運命共同体だったはずのメンバーを付き合わせないことを選んだ。
しがらみを切り捨てた。
いままで通り、わがままを貫き通してくれればよかったのに。
でも、関ジャニ∞はアイドルで、それぞれがそれぞれの道をひとりひとりの形で見つけ始めた中で、きっとそれはあまりにも重荷で、それ以上の負担だと思ってしまったのかな。
なにをするにしても、グループとしての取捨選択としてきたものは、いままではだれかの可能性を生み出してきたことだったと捉えられるけれど、それはまた別の可能性は殺してきたことに気づいてしまったのかな。
そんなこと、愛してなければできない。
あまりにも愛にあふれてなければ、選ばないことだと、考えてしまった。

それにしてもこんなときなのに、渋谷さんに感謝したくなっている。
彼女、の選択もそうだったのかもしれないと、いまさらになって思う。
三ヶ月納得できなかった、彼女のリタイア。
グループはどうしても個人の一意見でもそれが意思決定として、方向性として決まってしまえばみんな同じ方向を向くしかない。
個人のわがままを、グループに背負わせることになる。
彼女も、なにを内包していたかはあれ以上わからないけれど、好きだったからこそグループに言うことにしたのは、たったひとつのわがままだったのかもしれない。
そう思えるようになった。


唐突に推しの宣伝ですけど。
彼女がソロコンで「青春賦」という曲を選んだことで、わたしは当日、化粧がすべて消え去るくらい泣いた。
『生まれた朝に 手渡されてた
 ずいぶん不公平な旅行カバン』
この、「青春賦」の歌い始めは、いささか重苦しく始まる。
なにを意味していたかはわからないけれど、この歌詞を手話という表現で歌ったあと、「なにもない自分」と言った推しに涙した日を思い出した。
逃げるように辿った先でまた追い詰められた。
渋谷さんからしたら、ばちりと填まってしまったセンター性も、耳目を集めてしまうカリスマも、類まれなるセンスも、その美貌も、ともすればその歌声だって、行く道においての不公平な旅行カバンだったのかもしれない。
わからないけれど。
でも、光る荷物を増やしてきたいままでを抱えて、ただひとりで歩むことを決めてしまった。

あの日、あの冬の一週間。
たぶん、エイターさんの中にも彼女の卒業に嫌だと泣き叫ぶファンを一笑に付したひとがいると思う。
仕方ないのだからと言い切ったひとがいると思う。
喧嘩を売るわけではないけれど、なんで高みの見物できたんだろう。
仕方ないとわかっていても、どうしようもなくても、ただ嫌だった。
同じように本人たちによって、信じていたものが打ち破られたんだ。
もちろん、わたしにだって一度世界が壊れたくせに、この世界は、関ジャニ∞は大丈夫という慢心はあった。
でも、絶対なんかない。
なかった。
わたしはあの日知ってしまった。
だから、そうか、しか出てこない。
だから、頭ではいろいろ考えても言葉を探しても、心はどこか、これを納める場所を知っている。
そして、いま、どうしようもないことだけ知っている。
どんなに泣いても叫んでも、文句を言っても過去を恨んでも、希望をかき集めようとしても、絶望にうちひしがれても、刻一刻と時間は過ぎていく。
働いている間にすら、こんなブログ書いている間にすら。
七人の関ジャニ∞は過去になっていく。
また、夜が明けないでほしいと、次の日にならないでほしいと、願う日が来るなんて思ってはなかったよ。


そのくせ、心は悲しみのわりに凪いでいる。
だって、本当にどうしようもない。
答えを急いでもなにが正解かなんて、わからなくて、これからどうなるのかなんてもっとわからない。
時間が解決してくれるなんて、だれかは言うかもしれないけれど、そういう問題じゃない。
いつまでも傷は残るしふと思い出して引き攣れる。
癒えたように見えても、忘れたように思えても決して消えるわけじゃない。
ただ、答えは出る。
六人で歩み始める関ジャニ∞を目の当たりにしたら、それがどんなものでも、ファンそれぞれ、ひとりひとりの答えがいつか出てしまうだろう。
六人の関ジャニ∞を見たら、自ずとそこにまた新しい感情が生まれてしまう。
むしろ、そこからはじまってしまう。
納得して前を向けるのか、さらに煩悶するのか、地獄に行くのか。
それがわからない。
だから明日が来るのがこわい。
でもそれ以上に見てしまいたいと思う。
不完全でも不恰好でも、完璧な、六人の関ジャニ∞としての答えを。
そうしなければ、わたしは決着がつかない。

あの、仕事で行けなかった1月21日。
アンコールは彼女を抜かした四人だった。
そうして歌ったすべてのはじまり「あの空へ向かって」。
現場にいてもいなくても、強制的に新しいはじまりを見せられた。
理解させられた。
あれは、残酷だけど、正しかったと思う。
前を向いている。
その言葉に嘘はなかった。
2月10日のバレンタインイベントに至っては、メンバーの名前入りのメジャーデビュー曲が出落ちのネタ曲になって、感傷に浸る術すら奪われた。
笑うしかなかった。
でもそれに救われた。
一番最初に彼女のパートを継いだのも、ネタ曲になった理由も、わたしの推しだ。
彼女の強さで、彼女たちの強さで救われた。
振付も歌割もガラリと変わった苦労をおくびに出さない彼女たちの笑顔をひたすらに追いかけたいと、心が決まった。

たぶん、ツアーを六人でと決めた彼らも、そうして前を向いた姿を見せてくれるために、そう決めたのだと思いたい。
それまで感情は振り切れるし躁と鬱とを繰り返すだろう。
それからも、もしかして、という不安と戦うことになるだろう。
彼女たちに関しても同じだから。
いまでも、このまま周年終わったら燃え尽きるんじゃないかか、まただれか抜けるんじゃないか、なんだったらいつか解散してしまうんじゃないかと過る。
でもテレビに写るたび、現場に行くたびそんなことは吹き飛ぶ。
傷ついてもなお美しい少女たちを、いつまでも見続けるんだと夢を見る。
関ジャニ∞も、そんな風に圧倒してくれることを、願っている。
反吐が出る。
アイドルは夢を見させる職業だと。
簡単に言ってくれるけど、見せる方も見る方も本当に大変だ。
でも、そんなパワーがあるからこそ、アイドルだと言いたい。
関ジャニ∞はアイドルで、六人でも夢を見たい。
それがいつか破れる刹那だとしても、八人時代の夢が嘘じゃなかったように、七人の関ジャニ∞が幻想じゃなかったように、六人の未来もいまわたしたちの中にある。
いつかがくるまで、その一瞬は永遠だ。


それでも、あんなにも苦しそうな横山さんを、力なく微笑む丸山さんを、ブスくれている大倉さんを、所在無さげな錦戸さんを、頑なに笑い続ける村上さんを、そして、いっそ清廉なまでにまっすぐな渋谷さんを見たくなんかなかった。
本当に。
たとえ決まりきったことでも、関ジャニ∞を全うしていたからこそ、あの日まで疑いなくいた。
夢を見ていた。
なんと言われても、プロのアイドルだ。
関ジャニ∞はアイドルだ。

twitter.com

この記事の中にアホみたいな質問があるけれど。
彼女たちのその答えがすべてだと思う。
アイドルだって選んで、その選んだ道を普通として生きている。
そして、選ぶということは、できることもできないことも取捨選択して、可能性を生かして殺すということだ。
アイドルだけでなく、芸能人だけでなく、だれだってやっている。
ただ彼ら彼女らは、ファンだとかスタッフだとか、事務所だとかメンバーだとか、巻き込む規模が大きくてなかなか本人の意志は見えづらくなってしまう。
その中で、自分ひとり立って可能性を切り捨てた渋谷さんは、迷いなく本人の意志で、本当に飛び立ってしまうのだ。
いつか、メンバーがいないと生きていけないと言っていたのに。
村上さんが会見に出た理由だと言っていたのに、口べたな男は淀みなく自分ひとりの選択を晴れやかに話した。
それが、なによりの覚悟だった。

渋谷すばるが自分の人生を選んだように、錦戸亮安田章大丸山隆平村上信五横山裕も、険しい永遠を選んだ。
間違いなく、彼らも彼ら自身で選んだ。
ファンのためという大義名分があっても、その道を選んだのは彼ら自身の意志だ。
アイドルとして夢を見せると、選んだのだ。
一度破れた夢をもう一度見せることがどれほど困難なことか。
渋谷さんも、六人も、安易な道もなあなあな馴れ合いも選ばなかった。
格好いいとしか、言えない。
それなのに悲しくて涙が溢れてくる。


これが過去になることすら許せないこと気持ちもある。
怒りを、悲しみを忘れることを恐れる気持ちもある。
でも、それもいつか風化させるくらい、彼らが幸せになってほしいという気持ちもたしかに、ある。
なにもかも許せない気持ちがあっても、いつか氷解はやってくる。
その日がくるまで、ファンもメンバーも傷ついては振り返ってまた傷ついて、そうして前に進まざるを得ない。
それまでは、多いに悲しんで怒って駄々こねて。
それでいい。

怒られるだろうけど、何度も言う。
大事な、再出発で不安も悲しみも吹き飛ばした女の子たちを知っている。
だから、と言いたい。
だから、彼らもできないはずがないって思ってしまっている。
関ジャニ∞が本当にすごいなあ、と思うのは、六人の再出発をきちんと、自分たちの手で選んだことだ。
感傷に浸る時間を延ばさず、次の最善を考えて一丸になっている。
彼らに託した渋谷すばるも、その選択には一緒にいる。
六人の輪が和になるように、七人で選んだ。
ぽろぽろと溢れるような不安はあるのに、次を見せようとしている。
彼女たちは、そこはまだ、運営主導だった。
でもできたのだから。
わたしはアイドルの強さを信じている。

「新生関ジャニ∞」を見せるまで、それこそがむしゃらに愚直なまでに進むのだろうな。
傷の存在を、欠けた形を、感じさせないためにも。
皮肉にも、同じような筋書きを描いてしまったわたしの大好きな二つのグループは今年、再出発を見せてくれる。
あの日が来るまで、四人の彼女たちを知らなかったように、いま、六人の関ジャニ∞を知る人間はまだいない。
こちらがまた不安になるくらい、いつか折れてしまうんじゃないかと思うくらい、ちょっとくらい休んでもよかったのに、と言いたくなるくらい、大きな決断。
それでも、走り続けると決めてくれた。
一年だけ彼を引き留めて、周年をやりきって解散って道があったというのにそれはしなかった。
さらにその先の光景を関ジャニ∞として見せようとしてくれている。
決めたのは本人たちで、ファンはそれを信じる存在でしかない。
傷ついて混乱しても、その未来を見ていきたいと思う、素敵なグループに出会えてよかった。


アイドルは所詮、ブラックボックスだ。
関ジャニ∞のように、いくら開けて見えても、提供された情景を楽しむ箱庭でしかない。
それを痛感している。
あの会見の村上さんは、それはもう完璧に、世間が知っている関ジャニ∞村上信五だった。
痛々しいほどに全うする彼は、渋谷さんだけが知る村上信五を箱に入れて宇宙に解き放つ準備をしてしまったように思う。
ときどきファンに垣間見せてくれたそれを、見ることはもう叶わない。
松原.だけでなく、横すばも丸すばもやすばも気まずいも、倉すばも、渋谷すばると繋がっていた関係の先を直接見ることはもうできない。
ブラックボックスに仕舞い込まれてしまう。
それも、ひたすらに残念だ。
だからと言ってそれは責めない。
見えなくなるだけで、過去は嘘でなかったし、これからもきっとこの宇宙どこかに存在している。
ただただ、いままでと同じように、今ある情景が永遠だと夢見させてほしい。
これからも見せてくれる未来を、笑ってくれる世界を信じて、関ジャニ∞ももいろクローバーZも愛していきたい。



追伸

有安杏果と、同じことを言おう。
彼に夢を見る限り、わたしにとって渋谷すばるも、アイドルだ。
ずっとずっと。