百億の月

いま小さく脈打つメロディー

わたしのカンパネルラ

ここはわたしの日記です。
いろいろデリケートな部分にも触れていますが知ったこっちゃない。



有安杏果ももクロを脱退して、早一年。
ソロアーティストとして活動を再開するとお知らせがあった。
緑推しおめでとう、がんばってね、そんな気持ちでいた。
ぶっちゃけ、彼女のアートワークにそこまで興味もないので、ずっと浮遊霊めいていた緑推したちが元気になるTLに安堵したのが実のところだ。
コンサートの申し込みもはじまって、ももクロちゃんたちもバレンタインのイベントを間近にひかえた二月六日。
一日ツイッターを見ていなかった夜に飛び込んできた。
杏果に彼氏、そう踊っていたTL。
深呼吸して、まじか、おめでとう、と思うようにした。
彼女は自分の人生を選んでいたし、わたしの気持ちとしては少し距離を置いて、彼女が幸せであれと願う立場になりたいと思っていたから。
ちょっと強がったのも事実だけど。
本人のツイッターで発表したらしい、と自分の肌に合わないからとフォローしていなかった彼女のツイッターを見に行った。
直筆の文章は、彼女が最大限の誠意として書いたのだろうな、と思う文面だった。
そう思う。
でもじわじわと不安めいたなにかがあった。
そのときの気持ちは言葉にはできない。
一読して、週刊誌の記者に囲まれたことも書いてあったので、元ももクロもたいへんだなあ、と思ったのは覚えている。
個人的には、懇意の男性を社長に据えるのは、信頼がおけるとはいえ危ないのではないかとも。
門外漢の人間に権力を与えて、その後金とかで揉めたとか聞きたくないなあ、というのが一番最初に感じた不安だった。
旦那ならまあともかく、お付き合い段階では早いのでは。
それでも、有安杏果がそう決めたのならこれ以上口は出すまい。
そう思って必要以上の汚い言葉は飲み込んだ。
でも、そもそも、活動をサポートとは。
いつからかはわからないけれど、プライベートの知り合いだとしても医師ということで、ある程度医療知識を用いたサポートなのか?
そういうことがよぎった。
率直な意見で、安直な深読みとして、医師と患者との関係性も伺える。
波長が合えばそういう運命もあるかもしれないけど、まって。
お相手、患者に手を出したということになるの?
それってコンプライアンスとしてどうなの?
そうして、彼と、彼女はそう言われるかもしれない一線を越えている可能性が、と報道されてしまった。
いまだに有安杏果と入れるとサジェストで見たくない言葉が出てくる。
医療関係者にとって風評被害以外のなにものでもないんじゃないかな。


彼女の復活の話をしよう。
ももクロ脱退を発表してからきっかり一年。
ソロ活動を発表した。
ずいぶんと計画的だったし、そうとれる動きはツイッターをはじめ節々で感じていた。
「普通の女の子になりたい」
彼女はそう言っていたはずなのに。
ソロ活動について、スターダストとの契約があったのかもしれないし、もし隠していたとしても彼女だけを責められない。
ただ言葉は選んでほしかったな。
嵐の大野さんのように「自由になりたい」だったら、もう少し上手に咀嚼できたのかもしれない。
ごめんね、まだ「ふつうのおんなのこ」は飲み込めていないの。
だから、ソロが発表されても驚かなかった。
ほとんどがそうだったんじゃないかな。
むしろ脱退した1月21日に発表じゃないんだ、くらい。
小学生が書くような丸文字だった彼女の字が、拙くとも大人らしい字になっていて、一年の彼女の努力を物語っていた。
スターダストという大きな事務所から、自分のペースで活動できる個人事務所へ、という選択は、大事務所の庇護がなくなったわけだからうまくやれるといいな、とだけ思っていた。
やりたいことをやるために、ソロとしてのびのびするためにやめたということくらい想像はできたから。
結局やりたいことをやれない目に合わなければいいな。
彼女だけでは無理だから、どうか揃ったスタッフがいいひとたちであるといいな。
ソロが発表された12時から、ももクロの結成日の5時17分にももクロの公式サイトでお祝いのようなコメントがあがるまでにそう願った。
それからひと月ほど経った。


本心のところで、いろいろ複雑ではあるけど報告自体はお祝いしたいのはある。
むしろお幸せに!と心から言える。
けど、事務所まで関わってくるとなると少し話が変わってくる。
彼女はいま、元ももクロの冠のついた新人アーティストだ。
どれほどファンがいようと、知名度があろうと、ソロで活動したことがあっても、ももクロを抜けてからの実績はまだない。
その状況でネガティブな情報が拡散されてしまったということに不安を抱く。
もちろん、週刊誌はそこを狙って報道したことも理解はできる。
いくらSNSで発信しようと、言葉が上手くない。
だからこそ譲れないところには真摯にいようとしてくれるのも。
言葉を尽くしてくれているのも。
アーティストと名乗るからには作品で勝負してなんぼでしょう。
アプリコット有安杏果のコンサートに行きたい、というひとが多いのは杏果がももクロで頑張っていた証拠だ。
22年間の芸能生活の、たった8年の活動を頑張ったからだ。
アイドルとして軌跡を残せたからとはいえ、アーティストとしては?
まだ不確定要素が多すぎる中、こんな情報が出てしまって、彼女の先行きが不安になった。
たとえ内容が嘘八百だろうと、肉付けされた話だろうと、この一度出回ってしまった話はなかなか消せない。
いまだにももクロといれると出てくるサジェスト。
わたしの推しが主犯になってるね。
なにも知りはしないくせに。
世間一般は、それを鵜呑みにする。
だから、こわい。
彼女たちの関係が誠実たるものでも、一生付き纏ってしまうんだろうなあ、と思う。
わたしは彼女のアートワークに感銘は受けないけど、それでも頑張ってほしいと思っている。
それに翳りができてほしくなかったのが正直な気持ちだ。
わたしやファンがどう思おうがいい。
これから有安杏果を知る人間は、ほとんどその一般の大衆だ。
その彼ら彼女らのバイアスになってしまう。


アーティストとはいえ、ビジネスだ。
だからこそ運営は世間の評価なんかを気にしたり、アーティスト自身もファンに還元したりする。
もちろん純粋に支えてくれたひとたちへの感謝もあるだろう。
けれど根本的に、アーティストがいなければファンは生まれず、ファンがいなければアーティストも生活が成り立たない。
だからビジネスだ。
アイドルだってビジネスだ。
有安杏果はもっと複雑な、アイドルとしてビジネスしてきた。
アーティストは作品を提示すればよかったけれど、アイドルは生身の人間が作品だ。
ある程度キャラを作っても、ある程度無茶をしても、それが許される、というかそれが売りになる。
そういう世界だった。
有安はももクロの間はアイドルとして生きてきた。
いつでもファンを顧みていたように思う。
緑推しの、さらに言うなら他推しからの評価も気にしていたこともあるだろうなあ、と思う行動もぽつぽつあった。
なにをしても雁字搦め、蟻地獄のようなみんな「有安杏果」評を持っていた。
それを知っていた彼女はありのままで、とは言いづらい生き方だった。
アイドルとしての看板を下ろした有安に、好きに生きればいいと思ったのは1年前だ。
彼女は間違いなく有安杏果の人生を選んだ。
去年のこの日、スターダスト時代のブログが消えて、ツイッターとインスタグラムがはじまった。
わざわざ名前のタグをいれて、オフィシャルもつけて、待っててくれてありがとうという風にはじめた。
まるで元いたファンを掻き集めるように。
わたしはそれをしてほしくなかった。
もちろん、先に説いたビジネス論としてはとてもわかる。
新規の顧客を掴みに行くより、元ももクロ有安杏果のファンを集めるほうが楽だ。
けれど、そんなアイドルの延長線のアーティストにはなってほしくなかった。
おそらくアーティストになりたいんだろうな、というのはわかっていたからこそ。
キャラクタライズされたももクロ有安杏果を引き摺る人間ばかり集めず、大衆に向かって歌ってほしかった。
みんな、と呼びかけるのはコンサートだけにしてほしかった。
勝手な理想だ。
有安に健全に生きて歌うことだけを願う緑推しもたくさんいるとわかっているけど、彼女に私以上の誇大な「有安杏果」像をいまだに押し付けているようなひとたちまで集めても、と思ってしまう。
そうじゃない!と発憤するひとたちもいるかもしれないけど、去年一年見ての結論です。


アイドルよりかは自由に見えても、ビジネスである以上、アーティストもある程度制約や限定もあるだろう。
長年やっていたらアーティストイメージ、というものもできてくるだろう。
その上で、あまりにもスタートがモヤモヤしすぎて。
個人事務所だからこそ、心配だ。
この一年で、ももクロを離れたひとも、有安を離れたひともそれぞれいるだろう。
それぞれ自分の気持ちに従っているでしょう。
それと同じように、この一年、わたしが見てきた感じてきた範囲で、わたしは彼女のしたいことをわかってあげられない。
たぶん、わたしは怒りたかった。
なにしてるんだ、バカ、と有安の行動を怒りたかった。
23歳は大人とはいえ、まだ新卒という年齢で。
いくら芸能界に長くいたとしても全部自分でできるとは思っていない。
自分が引っかかっていた答え合わせができて、納得できない部分を自分なりに怒ってすっきりと、彼女をお祝いしたかった。
でもあったのは理解できない気持ち悪さだ。
有安杏果がなにをして人生を歩んで行きたいか、彼女の発信からはなにも見えてこない。
なにを当たり前のことを、と思うかもしれないけど、彼女なりに言葉を尽くしてくれたはずなのにわからないってただただ辛い。
理解できないわたしを責める人間もいるだろう。
有安杏果をそのまま受け入れろ、と言う人間もいるだろう。
けれど、評価とは本人に返っていくもので、そこにはそれぞれの価値観も反映される。
そして、深読みや意味を読み取ろうと腐心する人間ばかりではない。
言葉ひとつ、行動ひとつに跳ね返ってきてしまう。
だからこそ心配なのだ。
事務所を、ビジネスを維持していくなかで、有安の対応はいろいろ大丈夫かな、と思うことが増えた。
ただ「普通の女の子」になるなら心配ないことだった。
オフィシャルをつけて発信した日から、そんなもの必要ないのに、と思う気持ちはやまない。
もちろん、生存確認、という意味では安心していた。
けれど、その発信は普通の女の子としてはあまりにも不可解で、アーティストとしては情が湧くものだった。
どこまでもアイドルめいたものだった。
ビジネスとして、アイドルに寄りすぎて、でも本人はアーティストになるなんて、中途半端なイメージしかつかなかった。
それでやっていくなら、結局彼女を受け入れてしまえるだけの「オタク」しか集まらない。
心苦しいほどにそれがいやだった。
広く大衆に受け入れてほしかった。
わたしが、好きになれなくても愛されていてほしかった。
それが叶わないかもしれない。
そこまで悩んだところで、気づいた。
有安自身、ビジネスにならなくても、別に困ることはない。
そういう後ろ盾を手に入れたのだった。
パトロンがいる。
言い方悪いけど、そういうことだ。
アーティストとして、表現と生活を天秤にかけて気にする必要がない。
ビジネスをする必要がない。
そういうことだった。
大衆に歌ってほしいと、愛されていてほしいと思っても、有安がそれを望んで、臨んでいるとは限らない。
純粋な意味でのアートに回帰してしまうのだな、と思った。
支援者がいて表現者がいて、それを受け入れる賛同者がいる。
当日コンサートに必要とされているのはファンでもなくて、彼女の活動の賛同者にすぎない。
世間一般の評価など、彼女に猜疑心を抱く人間の意見など、関係がない。
純粋に彼女を、作品を愛する人間さえいれば成り立つ。
彼女ははこにわのかみさまになるのだ。


くやしくてたまらない。
わたしが好きだった、ひとに愛されたくて仕方がないアイドル有安杏果はもうとっくに死んでいた。
誰かが言っていた。
有安杏果が自己の中の矛盾と戦っている姿に、ひとは愛を見出すのだと。
もう彼女のなかで矛盾はないのかもしれない。
いま見えるのは、安寧な生活と、健やかな笑顔だ。
本望じゃないか。


わたしの音楽は祈りです。
大森靖子ちゃんはそう言った。
そうであれ、とわたしも思う。
よくいろいろなアーティストに救われた、この音楽に救われた、という人もいる。
事実だろう。
でも、まず自分で這い上がる力がなければなにかに救われることがないとは思っている。
残酷な物言いだけど、現実そうだ。
同じものを聞いても、救われないひとはいる。
救われなかったひとには、間に合わなかった。
曲でも歌詞でも、写真でもツイートでも、なにかそこにある愛でも。
わたしもいままでの人生で出会ったなにか、が間に合わなかったらここでこんな文章を書いていないだろう。
だから音楽は祈りであれ、と思う。
いつか救われるだれかのための祈りであれ、と。
ももクロでも、救えなかったおとこのこがいる。
間違いなくひとつの契機になってしまった。
ももクロは巫女だ、と仰った方がいた。
巫女は神への祈りの象徴で、芸能の起源とも。
彼はももクロに関する著書を出したあと、国立競技場大会を見ずして、この世を去った。
はこにわのかみさまになる彼女にも、巫女でいてほしかった。
いつかはかみさまになるのかもしれないけど、もしかしたらいまあの子たち全員かみさまなのかもしれないけど、それでも祈りの歌を歌ってほしかった。
やっぱり、わたしは有安杏果とアイドルとして出会って、そんな彼女を愛していた。


本当に、一年かけて飲み込んできた。
言いたくなかった。
アンチのなかに紛れてあった言葉。
いま今日現在はそんなことを思った自分が馬鹿だ、と思えるし、歩んできた五人のことを否定するのか、と恥ずかしく思うけど。
鬼と悪魔と言われようと、たとえ今後わたし自身アンチと呼ばれようと、わたしが彼女へ抱いていた気持ちが否定されようと、そう思ってしまったことすらわたしは許せないので、それを記す。
ももクロが四人になってくれてほんとうによかった。
同じ方向を向けないひととは、歩んで行けない。
そうだね。
そう納得するしかない瞬間があったことが、わたしの真実だ。
普通とは?という議論になった普通の女の子にこだわった辞め方とか。
卒業ライブでの誤解を招きそうなコメントとか。
いつでもよかったからこそ、なぜか大晦日だった発信とか。
実質わたしは、いろいろ納得できていない。
どの形なら納得できたのかはわからないけど、現状として。
でも、彼女がその道を選んだのなら、もうわたしは言えることもない。
そして、彼女の活動の賛同者にはなれない。
別に杏果推しと争いたいわけではないんですが、だいぶ不快になった方も多いかと。
申し訳ない。
ただ先日とても不愉快になるブログは拝見しました。
でも一部のひとにとったらあれが真実なんだろうな、とは思います。
同じようにわたしの真実はわたしだけのものです。
それ以上でもそれ以下でもありません。


ごめん、有安。
ごめん、杏果。
わたしはあなたを支援はできない。
無条件に許してしまえない。
きっとわたしなんかに理解されることも認められることも求めていないだろうけど。
でも幸せであれ、と願う気持ちも本当だから。
あなたが歩み始めたAnother storyも大切なあなたの人生だから。


もう一生会うことのないおんなのこ。
わたしはアイドル有安杏果が大好きでした。
24歳おめでとう、杏果。