百億の月

いま小さく脈打つメロディー

アイドルだったあなたへ

たいへんなことがおきてしまいましたね。
まさか推しと自担と自分のマインドのこと以外でブログを書くとは。
これは単なる備忘録ですのでいやな予感がする方はバックプリーズ。
オススメブログ貼るんでこっちでもどうぞ。
どのブログも主観に基づくもので、公開した責任はあれど他者から詰れるいわれはないと思います。

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最後の杏果推しのはわたしにはない視点でわたしの好きだった杏果推しの気持ち悪さが詰め込まれてる。やばい。
この発言からわかっていただきたいが基本的に緑推しには辛辣なのでご注意をば。




さて、では。
1月15日12時。玉井詩織出演のサムライロックオーケストラのステージを一般先着でとれたことがうれしくて(黄推し石投げないでね)ルンルンでツイッターを開くと、
そこではもっと衝撃的なことが待っていた。

混乱しかなかったけれど、なんで、のあとに出てきたのはふざけんなだった。
乱暴で申し訳ない。
大半のモノノフがそこに行き着いてしまったように見受けられた。
特に緑推し以外。

これには、まず「5人」を強固に信じていた背景があると思う。
ももクロはたびたび口に出すように、固定のメンバーで息の長いグループを目指している。いた。
バカだなあ、と思うかもしれないけれど、メンバーが言うならば、と信じていたファンが多かった。
盲目的に信仰していた部分もあっただろう。
気持ち悪い?知ってるよ。
アイドルって偶像って意味なんだからいまさらだ。

さらに、ももクロ自体のイメージの問題もあった。
ももクロファン以外に言われたことがあるが、
「あんな普通の女の子たちじゃん?」
これに尽きる。
天真爛漫でどこにでもいそうな女の子たちがひたむきに頑張る姿に胸を打たれ、ファンになったという話もよく聞く。

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わたしのももクロに対するイメージはこれだった。
反面、それは幻想であることもわかっていた。
何万人の前に立つ少女たちが普通であることなどないとわかっていた。
これは設定であり、ファンタジーであり、幻想だとはわかっていた。
そういう、信仰と現実の間をわかった上で彼女たちをヒロインとして推していた。
それぞれ意見はあるだろうが、こういった類のある意味でももクロ神話というものを共有し、それに安心しきっていたように思う。
それが打ち砕かれたのだ。


「普通の女の子になりたい」
有安杏果はそう言った。生放送で、臆面もなく。
じゃあ隣にいる4人は普通の女の子ではないのだろうか。
普通の、ありふれた女の子たちだと信じていた。
それを信じたかったのだ。
そんなわけがなくても、信じていたのだ。
外野から見たらそれが気持ち悪い信仰だとわかる。
でも、宗教にとどまらず、生きる上で信じているものがなにもない人間はいない。
その信じていたもののひとつだと、理解してほしい。
それが本人から破られたのだから、反動で「ふざけるな」「裏切られた」「嫌いになってしまいたい」そういうネガティブな思考が目立ってしまった。
恐ろしいかもしれないけれど、そういう心理だったように思う。

特に女性として、「普通の女の子」にもひっかかった。
言うほど、普通は普通でない。
世間一般に言う、普通の女の子たちも、それぞれに傷ついて悩んで迷って、日々に追われて生きている。
それなのに、普通が楽しくてうらやましくて仕方がないという風に笑う。
ももクロでは普通は得られないから、卒業したい。
そういう印象を与える言葉選びだと思った。
本当にコメントが下手だな、知ってたけど。
そういうところも有安らしいけど。

実際には、芸暦22年という、生まれたときから芸能界で過ごしてきた彼女は、スケジュールを母親や事務所に管理されているのは当たり前だった。
もし友人とどこかに行きたいと話しても、それがかなわないこともあっただろう。
子供だった時分はよくても、大人になって自由意志と権限が確立されたのちにその状態では、窮屈だろうというのもわかる。
それの折り合いがきちんとついていると思っていた。
安心しきっていた自分はなんだったのだろう。
生放送で満面の笑みの彼女と、笑顔の裏の動揺を隠し切れない4人を見て、そう思った。
普通を知らない彼女は、普通に憧れてしまった。
たいしていいものじゃないよ、と言いたいけれど、知らないのだから仕方ない。仕方がない。
仕方ないと言うしかないじゃないか、ばか。


一部からは、「やっぱり」という声も聞こえる。
わたしもショックだったけれど、どこかわかっていたように思う。
2016年からしていたソロ活動。
ときどき、ももクロの活動よりソロのほうが楽しそうに見受けられた。
メンバーといるのが映っても、スイッチがOFFの状態も多くなっていた。
関西テレビ冠番組である、桃色つるべはひどかった。
釣瓶さんの隣で、笑顔も浮かべず真顔の有安。
レギュラーなのに、とわたしも思った。
だんだんと不安が増して、ソロで楽しそうな緑推しをよそに「このままで大丈夫なのか」ということを話すことも増えた。
ももクロの方を向いていない、そういう違和感は確実にあった。
その爆発は案外大きかった。
みんな不安だったね。
それでも、彼女の言葉を信じて、他のメンバーを信じて、続いていくと思っていたのだ。

杏果は、音楽が好きだった。
彼女の歌がうまくいかなければ、そのあとメンタルをぐずらせることもあった。
ガンコな、完璧主義的な一面だったように思う。
緑推しを中心に「杏果が一番の努力家」「一番ファン思い」などということをよく言っていた。
この言説が反吐が出るくらい嫌いだ。
努力に一番もなにもないだろうし、ファン思いの形もメンバーそれぞれで示してくれていると思っていたからだ。
わたしは推しであるあーりん最大のファンサービスは、わかりやすいレスや認知ではなく、ステージで完璧にあーりんを魅せてくれることだと思っているから。
それが杏果を追い詰めるのではないかと、知り合いの緑推しと口論したこともあった。
そういう、盲目的な言葉になにを思っていたかは知らないが、杏果は並外れてファンに献身的であったようにも見える。
ファンの理想である自分を演じることに完璧さを課しているように思えた時期もあった。
だから、この「一番」というまるで比較する言葉が嫌いだ。
杏果なりの最大限の努力と、献身を汚されたように思うから。

わたしは有安杏果を「現代的アイドル」と評したことがある。
明らかにももクロの中で異質で、特異点に思えて仕方がなかった。
ももクロも現代のアイドルではあるが、自分の推しメンをなんとかして推し上げる、AKBイズムに通ずるものをとりわけ緑推しから感じている。
緑推しはなにかと比較して、必死でももクロの中の有安杏果を確立しようとしていたように見えた。
それが偶像や理想であれ、その熱意はすごかった。
そして実際、切磋琢磨され、歌にこだわる杏果につられるように飛躍的に歌唱力も伸びた。
それは間違いなく事実だ。
本人はももクロのノリが苦手とこぼすこともあった。
でも自分なりの居場所を見つけたとも。
大所帯のグループなら、気の合う者同士つるめばいいから、こんな話もなかっただろう。
米子の夜などなければよかった。
それで、ももクロ神話が強化されてしまったようにもいまさらながら思う。
あるいはハロプロならば、持ちうるスキルを伸ばすことに邁進して自由にのびのびできたかもしれない。
でもももクロは2011年からは5人しかいなかったし、アイドルは総合芸術だと、とりわけトークやバラエティなど、苦手なことにも立ち向かわないといけなかった。

現実の有安杏果、ファンの理想の有安杏果有安杏果自身の目標、ももクロの活動。
アンバランスに見えても、裏側まではわからないけれども、きちんと調和していたと信じていた。
信じていた、ばかりだが、結局オタクというものはそういうことだ。
しみじみ、アイドルとは夢を見せる偶像で、オタクとはその夢を信じる生物なのだと思っている。


杏果は完璧でない自分は嫌だったのかもしれないけれど、ガンコで、意地っ張りで見栄っ張りでときどき自分本位ともとれる人間くささがわたしは魅力のひとつだったと思う。
だからやりたくない仕事の「できない」という割り切りは潔いともとっていた。
がんばることも無理にしなくてよかった。
がんばりたいのならひとつひとつでよかった。
確実にプラスに向かっていた面もあった。
それを全部、一気に完璧にしようとしたツケの反動のようにも思える。

わたしはやっぱり有安杏果にふざけるなとは思っているけれど、嫌いにはなれない。
ばかだなあ、とは思う。
いろいろ空回ってしまって休みたくなったのだとも。
だから、杏果は責めない。
いままでおつかれさまとありがとうを21日に言えるように、と思えるようになった。


それよりも新章が始まるももクロの4人のほうが心配だ。
いくら言葉を尽くそうとも、仲間のリタイヤに憔悴が見える。
普通の女の子だったはずの彼女たちは、これから傷だらけで再度立ち上がって戦わなければならない。
ネット上をはじめ、心無い憶測や風評も多々ある。
一応情報を扱う会社に所属しているけれど、上司がありふれた不仲説をニヤニヤしながら聞いてきた。
どこにでもいるんだ、そういうゴシップ好きな下世話なやつ。
「この会社にお勤めなのにネットのクソ情報信じるなんてpgr」
と、あまりにもネット擦れした反応をしてしまったが、それくらい荒唐無稽なものを信じる人間も増えるだろう。
けれどいままで通りひたむきに、美しい戦士の姿を見せていけばいいと思う。
わたしはそれを見守りたい。

一部が書き連ねている、ももクロ復帰願望をわたしは望まない。
あまりにも残酷なストーリーだ。
いまからすべての曲の振りと歌割を4人に直して、これからも4人の歌を増やしていく。
心身ともに、どれほどの負担なのだろう。
その後でやっぱり戻ります、はあまりにも覚悟がブレすぎて卒業以上にわたしは受け入れられない。
だから、ももクロに戻りたいと思わないことを祈っている。
だれかが書いていた、
「これから4人はももクロを続けてよかったと思ってほしいし、杏果はももクロをやめてよかったと思ってほしい」
お互いにそういう人生を歩んでくれればと、願う。

音楽活動は続けていくやも、ということなのでソロとして復活はあるかもしれない。
それも結局芸能界に戻ってくるのか、と少しモヤモヤはする。
けれど、そんなモヤモヤや卒業時のふざけるなという思いを超えるような楽曲を作ってくれることを望んでいる。
結局、わたしは有安に夢を見る。
有安杏果はアイドルだったのだ。


「これからもずっとずっと、みんなに嫌なことがあっても、私たちを観て、ずっと笑っててほしいです」
いつでもこの百田夏菜子の言葉はわたしの心を照らしてくれる。
ときどき感傷的になるかもしれないけれど、これからもももクロを見て大いに笑いたい。
そして、彼女たちが迷うことがあっても、お返しとしてわずかばかりのサイリウムを照らす存在でありたい。

21日は仕事で行けないけれど、来月のバレンタインイベントで初めて4人のももクロを見れることを嬉しく思う。
ももいろクローバーZの5人それぞれに、幸多からんことを。